大関


大相撲の地位。

現在は横綱に次ぐ上から2番目であるが、かつては最高位であった。

鶴竜に至るまで243人がこの地位を務めた。

東西に1名ずつ必ずいなければならない地位。空位の場合は@横綱を大関と兼ねる「横綱大関」とする、A関脇、小結から多少強引にでも昇進させるといった対処法がとられる。

江戸時代までは実力関係なく、太っていて見栄えが良いという理由だけで「看板大関」とすることもあった。4代横綱・谷風も最初はこの看板大関であった。


大関昇進は目安として「三役として3場所で33勝以上」とされるが、これもあってないようなもので情勢によってだいぶ左右される。平成以降では33勝基準を満たさず千代大海(32勝)、稀勢の里(32勝)が大関昇進を決めた一方で、雅山(34勝)や把瑠都(33勝)のように見送られる場合もある。雅山の見送りは議論となったが、把瑠都に関してはほとんど議論にすらなっていない。

かつては1966年の北の冨士28勝や1975年の魁傑30勝(7勝→12勝→11勝)のようにもう少し甘かった。


陥落は1958年〜1969年5月場所までは大関は2場所連続負け越しで角番となり、負け越しが3場所連続となると関脇に陥落、1969年7月場所からは現行の1場所の負け越しでも角番となり、2場所連続の負け越しで関脇陥落となる。但し救済措置として関脇陥落の場所で10勝以上すると大関復帰となる。

次の場所で負け越せば関脇陥落の大関を角番大関と呼ぶ。

三賞の受賞対象からは外れる。

特権として給与面の他に移動の際のファーストクラスやグリーン車、自家用車での国技館駐車場乗り入れ、引退後一定期間協会に残れるなどがある。


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