69代横綱

白鵬 翔
(SHO HAKUHO)


-「双葉」の名を平成に蘇らせた大横綱-
彼のおかげ「双葉山」の名を聞くことになった平成の世の人々も多いだろう。モンゴル国ウランバートル出身で本名はムンフバト・ダワージャルカル。

父はモンゴル相撲の英雄である。本人は少年時代バスケットボールに打ち込んでいた。

大相撲の世界を目指し来日。大阪の摂津倉庫でスカウトを待っていたが、当時は痩せていたのでなかなかスカウトされない。一緒に来た、猛虎浪や千昇が決まる中、白鵬は部屋が決まらず,帰国のピンチに瀕し、「I don`t want to go back」と主張したという。

最終的に宮城野部屋にスカウトされ力士生活をスタートさせた。


-序ノ口負け越しから始まった快進撃-
2001年3月に初土俵を踏む。

体重増加を優先した師匠の判断で入門後しばらく稽古をさせなかった。序ノ口では3勝4敗と負け越し。横綱まで昇進する力士が序ノ口で負け越すことは珍しく、1947年5月場所の初代・若乃花以来だった。

03年11月場所、東幕下9枚目の地位で6勝1敗。通常なら十両昇進は不可能な成績だが、公傷制度廃止に伴う関取4人増員の恩恵を受けて十両昇進を果たす。

十両は2場所で通過。04年5月に新入幕。この頃には独走を続ける横綱・朝青龍を止める第一候補と見られるようになった。


-最年少大関のチャンスから一転、不完全燃焼の2005年-
新入幕でいきなり12勝して敢闘賞。続く7月も11勝、初の平幕上位となった9月も勝ち越しすと、11月は西幕下筆頭で朝青龍から奪った金星を含め12勝3敗の好成績で1年を締めた。

05年は大関昇進もちろん、横綱昇進もあるぞという雰囲気で迎える。

05年1月に新小結。初日の朝青龍戦は初日なのに「事実上の優勝決定戦」とまで一部で声があがり熱戦の末に敗れる。その後、立て直し11勝で技能賞獲得。

3月は大関昇進を賭す場所となり、昇進すれば貴花田(後の貴乃花)の最年少記録を抜くことになる。しかし、序盤から星を落とし、最後は4連勝と巻き返したが、8勝止まり。7月は7日目まで終えて6勝1敗と好調。しかし、中日の普天王戦で左足を負傷。途中休場に追い込まれた。

そうこうしているうちに朝青龍は05年に前人未到の年6場所完全制覇を達成。さらに大関取りでは琴欧州に先を許してしまう。


-怪我を乗り越えて綱を手に-
2006年1月、12日目に朝青龍を破り、千秋楽では琴欧州を下して13勝2敗という見事な成績。いよいよ白鵬時代到来を告げる場所になった。

3月は初日から11連勝し、12日目には朝青龍を左四つに組みながら破り、もはや朝青龍1強時代は終焉を迎えたことを知らしめた。自身初の決定戦では朝青龍に敗れるものの、白鵬の横綱昇進は時間の問題であった。場所後に大関昇進を果たす。

新大関の5月。白鵬は14翔勝1敗で初優勝。驚きではなく、むしろ当然の結果だった。

その相撲内容から2場所での大関通過の声が高まった。綱取りの7月、9日目まで2敗を喫したが、千秋楽で全勝の朝青龍を寄り倒し、13勝2敗。星数はもとより、相撲ぶりも素晴らしく、横綱栄進は間違いないと思われた。しかし、無情にも昇進は見送られた。

なにやら「朝青龍に独走を許した」というのが理由のようだが、相撲内容は朝青龍をも上回っており、中盤に2敗したことを理由に上げなかった判断は、非常に厳しいと言わざるを得ない。筆者は直近の2場所のみを見て言っているのではない。朝青龍の相撲が白鵬を上回ったのh2005年5月が最後ではなかろうか。

続く9月は右膝の負傷もあり、8勝に終わり綱取りは振り出し。11月は左足親指骨折で全休。後の姿からは考え難いが、大関、三役時代の白鵬は怪我に悩まされていた。

カド番で迎えた07年1月は本調子でないにせよ、12日目に勝ち越し。こうなれば誰も白鵬を止められない。3月に2回目の優勝、5月は全勝優勝で横綱昇進を決めた。


-白鵬1強時代を確立する-
2007年7月、さすがの白鵬も新横綱の場所は11勝に終わる。9月から諸事情で朝青龍が土俵を留守にすることになり、白鵬らしかぬ不安定な相撲ながら9月、11月と連覇する。

08年1月は千秋楽で復帰してきた朝青龍との相星決戦となった。相撲史に残るような大熱闘の末に上手投げで下し、3連覇。右四つに組み止めれば、朝青龍にも完勝するだけの力がついていた。

3月は朝青龍とのリターンマッチに敗れるものの、08年後半から白鵬は別格の存在となる。192cmの長身が信じられないほど鋭く低い踏み込み、完成の域も見えてきた右四つ左上手の型。7月から3連覇し、白鵬時代到来を疑いようがなくなった。

08年後半から09年はまさに全盛期。筆者はファン仲間と冗談抜きで「白鵬は100連勝するのではないか」と真剣な議論をした思い出がある。連勝記録で世間を騒がせるのはもう少し後のことになるが、この時の連勝記録は33で止まったが、09年5月場所14日目の琴欧州戦で敗れていなければ、白鵬は100連勝したと本気で思っている。

なお、09年の白鵬は年間86勝で05年に朝青龍が記録した年間勝利記録を更新した。


-双葉に迫った63連勝-
2010年からの2年間、仮設蔵前完成以降で見れば、角界は吹いたことがない逆風に曝されていた。その中で角界を屋台骨のごとく支えたのが白鵬だった。

1月こそ朝青龍に賜杯を奪われたが、朝青龍は同場所限りで諸事情により引退。一人横綱となった3月(より正確にいうと前場所14日目)から連勝街道を爆進する。

結果的に連勝記録は63まで伸びた。08年後半から09年の白鵬の方が強みを感じられたのだが、記録として伸びたのは10年の連勝だった。

記録という点で残念だったのは11年3月場所が中止になったことだ。というのも朝青龍が05年に成し遂げた年6場所完全制覇、当然白鵬も狙っていたと思う。

多少安定感に陰りが見えていたといえど、まだ11年であれば、完全制覇できた可能性は高かったが、それがあのような形で絶たれるとは...。

10年3月から11年5月の技量審査場所まで7連覇を達成。

12年に入ると白鵬も全盛期の強さを見せる回数は減り、12年に日馬富士、14年に鶴竜の横綱昇進を許した。




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