66代横綱

若乃花勝


-史上初の兄弟横綱-
弟の貴乃花と共に史上初の兄弟横綱として話題になった技巧派横綱。本名は花田勝。

超人気大関・貴ノ花の長男として生まれ、弟の光司の中学卒業を待って共に父が師匠を務める藤島部屋に入門し角界入り。ただ、漠然と待っているだけではなく高校に通い沖縄国体少年の部で準優勝に輝くなど、充分な実績を積んで相撲界に飛び込んだ。

1988年3月に若花田の四股名で初土俵を弟の貴花田、後の横綱・曙、大関・魁皇らと踏む。


-出世順調も幕下では苦戦-
国体準優勝の実績は伊達ではなく、序ノ口に出た1988年5月は7戦全勝で優勝。序ノ口優勝者インタビューで異様なまでの報道陣の群がりぶりは後のフィーバーを予感させた。

序二段も1場所で通過し、88年11月場所では三段目も制覇し早くも幕下に昇進するスピード出世でこの時点では弟や曙ににかなりの差を付けていたが、幕下になるとそう簡単には勝てなくなり停滞する。

そうこうしているうちに89年11月に弟の貴花田が新十両に昇進、以後若花田は最終的に横綱にまで昇進するが、弟の引き立て役と見なされる事が多く、兄弟横綱故の不運な面も多かった。


-巧さを武器に大関昇進-
貴花田に後れを取ったが1990年3月、晴れの新十両。

この兄弟関取の誕生は相撲ファンを熱くさせたという部分もあるが、最大の功績は若貴フィーバーに見られる相撲ファン層の拡大にあるだろう。それまで相撲に縁のなかったファンが国技館に足を運びチケットは入手困難になった。ちなみに同期の曙もこの時、一緒に新十両となっている。

「オレ若花田、おまえ貴花田な」と言いながら小学生が休み時間に相撲を取って遊ぶなど2011年現在では考えられない光景が日本中の小学校で見られた。

十両では3場所目に十両優勝を決めた90年9月に新入幕。この時またも曙が一緒に新入幕を決めている。

体は小さい方だったが、巧さと運動神経でそれをカヴァーする取り口は目の肥えた相撲ファンを唸らせた。

91年9月には横綱・旭富士を破り引退に追い込み金星を挙げ、その勢いで11勝4敗の好成績を残し、殊勲賞と技能賞を獲得。

小結の地位で迎えた93年3月場所では従来までの巧さ、スピードにおっつけが加わり14勝1敗で初優勝を飾った。5月には関脇に昇進し、伯父である若乃花の四股名から取った若ノ花の四股名に改名する。

初優勝を起点に3場所連続2桁勝利をあげたことが評価され93年7月場所後に大関昇進。ついに弟にも追い付き、父の最高位にも並ぶ。

夢の兄弟同時横綱誕生は現実味を帯び、ファンの期待は一層に高まったが、怪我もありなかなか優勝には手が届かない場所が続く。その間に弟の貴乃花が94年9月、11月と2場所連続全勝優勝で横綱昇進を決めた。後は若乃花待ち―。そんな世論も若乃花にはプレッシャーになっただろう。

95年11月は12勝3敗で優勝決定戦に進んだが、相手はなんと弟の貴乃花。同部屋決定戦でも話題になるものだが、兄弟による優勝決定戦はもちろん史上初で夢の対決として大注目を集めた。

結果は若乃花の勝ちであったが、見る方の楽しさとは対照的に本人たちはなんともやりにくそうな一番であった。


-横綱昇進も怪我に泣く-
1998年3月、貴乃花が途中で休場する中、14勝1敗で自身4回目の優勝を飾る。

綱取りの5月場所では11日目までに3敗を喫し、横綱昇進はまたもお預けと思われたが、終盤に曙と武蔵丸を破り12勝3敗ながら2場所連続優勝を決めた。成績面で少々物足りない点もあったが、場所後に横綱昇進が決定した。

ついにファンが期待した兄弟同時横綱の誕生となった。世論はそれに沸いたが、実はこの時、弟・貴乃花との関係は疎遠なものになっていた。

横綱昇進後は左足の怪我に悩まされ優勝がなく、99年9月場所では大乃国以来の横綱皆勤負け越しの不名誉な記録を作る。

2000年3月場所途中引退を表明。年寄・藤島を襲名したが、暮れには退職しタレントや実業家として活躍している。

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