65代横綱

貴乃花 光司
(TAKANOHANA KOJI)


-空前の相撲ブームの主役-
超人気大関・貴ノ花の次男であり、伯父は元横綱・若乃花。人気・実力とも抜群で平成初期の相撲フィーバーの主役。本名は花田光司。

幼い頃から体は大きく、小学校4年生時に参加したわんぱく相撲東京場所で優勝を飾り注目の的となる。

中学卒業を目前にし、父に入門の意思を告げると、長男の勝も同調し、兄弟そろって角界入りとなった。

1988年3月、父が師匠を務める藤島部屋より貴花田の四股名で初土俵を踏んだ。


-ブームからフィーバー-
貴花田は下位時代から通常その番付からは考えられない程、一挙手一投足がマスコミ賑わせていた。

番付に出た1988年5月場所は後のライバル・曙に敗れて序ノ口優勝を逃す。

出世は順調で89年5月には早くも幕下に昇進する。さすがに幕下では苦戦すだろう―。そう見る向きも少なくなかったが、新幕下の場所でいきなり7戦全勝で優勝する。16歳9ヶ月での幕下優勝は史上最年少記録であり、今後彼がたくさん作る最年少記録の第一である。

89年7月場所は3勝4敗と負け越すが、西幕下9枚目に下がった9月でまたも7戦全勝優勝をやってのけ史上最年少の17歳2ヶ月で新十両となった。この昇進でブームは過熱状態となる。

十両も3場所で通過し、90年5月に17歳8ヶ月の史上最年少幕内力士が誕生した。

怪我の影響もあり、新入幕の場所は負け越し十両に逆戻りとなる。3場所後に幕内復帰し、ブームからフィーバーに変わった決定的な場所が91年3月場所。

東前頭13枚目と余裕のない地位だったが、初日から負けなしの10連勝。11日目には小結・寺尾を撃破し連勝は11に伸びた。あわや優勝という素晴らしい活躍で12勝3敗の好成績を残し、敢闘賞と技能賞を獲得した。

成績だけではない。貴花田は6日目の大翔山戦では投げの打ち合いになり、顔面から土俵に落ちて血を流しながらもぎ取った1勝であった。12日目には小錦に真っ向勝負で挑んだ。まだ線の細い18歳の貴花田は最重量力士にも敗れたが、正々堂々とした見事な相撲ぶり。こうした一面も貴花田人気を支えていた。


-千代の富士を破り相撲界の主役に-
1991年5月場所には西前頭筆頭まで昇進。ファンの注目は大横綱・千代の富士と貴花田がいつ対戦するかに集まっていた。千代の富士は父・貴ノ花とも関係が深い力士だ。

両者の割は大方の予想を裏切り初日組まれた。場所前から報道合戦が白熱する。

相撲史に残る一番は貴花田が左のおっつけで千代の富士の前廻しを許さず、千代の富士が引いた隙を見逃さず廻しを掴みながら一気に寄り切り、31回の優勝を誇る大横綱に引導を渡した。主役交代の一番である。新時代の到来に場内は熱狂に包まれた。この座布団の舞は三大座布団の舞に数えられる。千代の富士は3日目終了後に引退を表明している。

92年1月場所は特別だった。伯父である元横綱・若乃花の二子山が理事長として迎える最後の場所。理事長は賜杯を幕内優勝者に授与する。つまり、伯父から甥への賜杯授与はラストチャンスである。

だが、情勢は極めて厳しいと言わざるを得なかった。貴花田は史上最年少で小結、関脇に昇進を果たしたが、関脇昇進後は2場所連続負け越し。92年1月場所は番付を東前頭2枚目に落としていた。

初日、琴錦戦ではもろ差しを許し、薄氷を踏んだが逆転勝ち。3日目に曙に敗れたものの、5日目に小錦を初めて破る。1人横綱である北勝海はこの年の5月で引退する状況であり、当時最強力士だった小錦という最難関を突破。初優勝への道が大きく開けた。

ここから曙とのマッチレースが展開される。10日目には新鋭・武蔵丸を下す。12日目、曙が琴錦に敗れてついに単独トップに立つ。1敗を守ったまま迎えた千秋楽は西前頭5枚目・三杉里が相手。三杉里には初顔から5連敗を喫するなど相性は悪かったが、寄り切って初優勝を手にした。

19歳5ヶ月での優勝は最年少である。未成年ということで大盃に口をつけなかった。親子で幕内優勝したのも初のケース。三賞は全て受賞。

理事長が感極まり涙を流しながら天皇賜盃を貴花田に授与した。この姿は「鬼の目にも涙」と往年の相撲ファンの涙を誘った。双子山自身も「夢のまた夢」と語り、相撲人生の最後を有終の美で飾った。

この後、ライバル・曙が先に大関昇進する。貴花田は9月も優勝。大関、そして横綱を目指し93年に臨んだ。

93年1月場所、11勝4敗の成績を残し場所後に史上最年少となる20歳5ヶ月での大関昇進が決まった。また、四股名も新大関の場所から貴ノ花に改めた。同時にライバルの曙も一足早く横綱に昇進した。


-最年少横綱は逃すも圧倒的な強さを誇る-
当然、周囲は北の湖の21歳2ヶ月を更新する最年少横綱誕生に期待を寄せた。

大関2場所目の1993年5月場所、14勝1敗で3回目の優勝。綱取りの7月は13勝2敗の成績を残し優勝同点。史上最年少横綱誕生と思われたが、無情にも昇進は見送られた。あらゆる最年少記録を塗り替えた貴ノ花も横綱だけは北の湖の記録を抜けなかったのである。世間は貴ノ花に同情した。

94年9月は圧倒的な強さで全勝し6回目の優勝。協会は昇進を横綱審議委員会に打診したが、前場所で11勝と優勝していないことを根拠に推薦を得られず、昇進は見送りになった。多数決の結果、推薦に必要な3分の2には達しなかったが、過半数は得ていたと伝えられる。

なるほど、前場所11勝では物足りないというのはわかる。しかし、9月の貴ノ花の相撲はほぼ完璧だった。内容は横綱というようなレベルではなく見たことのない強さだった。

貴乃花と改名して挑んだ11月場所でまたも全勝優勝。優勝自体は14日目に武蔵丸に完勝して決めていたが、千秋楽の曙戦が相撲史に残る大熱戦となりこれを制してファンは大喜び。前場所同様に内容はほぼ完成されたレベル。まるで魔法のようだった。文句なしで横綱昇進を決めた。

大関で2場所連続全勝優勝は双葉山以来の快挙である。

横綱昇進後も強さは相変わらずで四つになれば相手を全く寄せつけずに寄り切ってしまう。特に右四つ左上手となれば盤石の一言。大関最後の2場所と横綱昇進後最初の11場所の計13場所で10回の優勝を重ねた。96年9月までを貴乃花全盛期とする声が圧倒的に多い。


-長期の成績不振-
24歳にして15回の優勝を数え、大鵬や千代の富士の優勝回数を超えるのも時間の問題と言われていた貴乃花を1996年9月場所後にアクシデントが襲った。

巡業で背筋の肉離れを起こし、11月は休場。

97年は3回優勝したが、圧倒的な強さは戻らず相撲の質も落ちた。また、体重も増加させこれが内臓の病気や膝の怪我につながったとする声もある。

貴乃花の相撲には花がないという声を気にしてか、完成間近だった四つ相撲を変化させ、叔父・若乃花の必殺技であった呼び戻しの取得を目指して相撲を崩したとも言われる。

これらの背景にあると話題となったのはとある整体師による洗脳騒動である。本人は一貫して否定しているが、母や兄である若乃花が整体師による洗脳を訴えっていた。

98年前半は大崩れ状態で、後半にいくらか持ち直し9月場所で20回目の優勝を果たしたが、これ以降2年以上優勝から遠ざかることになる。


-ドラマチックな最後の優勝-
21世紀最初の場所となった2001年1月場所は思い出したかのように初日から14連勝。決定戦でも武蔵丸を退け2年4ヶ月ぶりに復活優勝を飾った。ただ、この頃には既に相撲ブームはピークを過ぎており、館内の熱気はいささか寂しいものとなっていた。

ドラマは01年5月場所。初日から13連勝し、貴乃花完全復活か言われていた矢先のこと。

14日目に大関・武双山と対戦し、土俵際で巻き落としを喰らい右膝半月板を損傷する重傷を負う。しかも武双山の兄弟子・武蔵丸も1差の2敗で追走していた。

周囲が止めるのを振り切り足を引きずるように千秋楽の土俵に上がった貴乃花は武蔵丸との結びで力をまるで発揮できず敗れる。賜杯の行方は決定戦へと委ねられたが、勝敗は火を見るより明らかであった。

しかし、日本や世界の相撲ファンは奇跡を目撃することになる。

決定戦では驚異的な精神力で武蔵丸を渾身の上手投げで破った。勝利が決まった瞬間、貴乃花は永遠に語り継がれるであろう「鬼の形相」を見せた。

これには当時の首相であった小泉首相も表彰式で「痛みに耐えてよく頑張った、感動した!」と絶叫。

アフリカ出身初の関取となった大砂嵐はこの一番の動画を見て相撲にのめり込んだ。

一方で奇跡の代償は大きく、翌場所から7場所連続休場。

当初は世論もゆっくり治せば良いという態度だったが、次第に感動の優勝の余韻が冷め、風当たりも強くなっていった。

横綱審議委員会も勧告にも押される形で02年9月場所、ついに土俵に戻ってきた。

初日に貴乃花不在の間、人気面で大相撲を支えていた高見盛を破ったものの、5日目まで2敗をする苦しい序盤戦。しかし、中盤以降は白星を重ね、千秋楽での武蔵丸との横綱相星決戦を演じた。優勝こそ逃したが、まだまだやれるところをアピール。

しかし、膝は再び悪化し11月は休場、進退を賭した02年1月場所では2日目に雅山の二丁投げを喰らい左肩を負傷、取組自体は明らかに貴乃花不利な体勢であったが、何故が取り直しが適用され、取り直しの一番で辛くも白星を手にした。この不自然な取り直しには別に貴乃花に非があるわけではないが、各方面から非難が殺到した。

また、貴乃花自身も左肩の怪我で3日目から休場、5日目から異例の再出場をし連勝したが、7日目、8日目と敗れるとついに引退を決意。協会は功績を称え一代年寄を贈った。

現在は貴乃花部屋の師匠として後進の指導にあたっている。協会でも理事を務めている。

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