64代横綱

曙太郎
(AKEBONO TARO)


-史上初の外国出身横綱-
貴乃花の永遠のライバルとして立ちはだかった外国出身横綱。本名はローウェン=チャド=ジョージ=ハヘオ。

太刀山の名を脳裏にかすめさせる強烈な突き押しは開いた口が塞がらないという表現がピッタリ。

高校時代はバスケットボールの選手として活躍。ハワイ高校選抜の5人に選ばれる程の名選手で、パシフィック大学に進学した。大学ではコーチと対立しまい、3ヶ月で退学。

その後、元関脇・高見山の東関親方と親戚の親類から紹介され東関部屋に入門することになる。既に幼馴染みの高見旺がいたことも心強かった。

1988年3月、後の宿敵である双子山親方(元大関・貴ノ花)の二男らと共に初土俵を踏む。当時から200cmの身長で話題となっていた。


-一度も負け越さず関脇へ-
前相撲は太平洋をイメージしたのか大海の四股名で踏む。しかし、同じような四股名の大魁がいたため、5月場所より曙と改名した。序ノ口時代に後の貴乃花である貴花田と初対戦し勝利している。

長身を活かした突っ張り、ぶちかましは強烈で三段目時代の1989年3月場所前の出稽古では1月場所に幕内で10勝をあげ、前頭筆頭まで番付を上げた伊勢ヶ濱部屋の若瀬川を病院送りにしている。

若瀬川は腰を痛め、これが祟って結局は三役昇進は叶わず引退した。三段目でありながら三役目前力士を病院送りにし、下位の土俵においてぶちかましは群を抜いていた。

一度も負け越すことなく91年5月に関脇まで昇進。

幕内では揺さぶりに弱い点を突かれたが、四つになってもそこそこ取れていたので、負け越す事を知らなかった。


-角番のピンチを乗り越えて横綱昇進-
1991年5月場所で7勝8敗と初めて負け越す。連続勝ち越し記録は18場所でストップ。通常関脇の7勝8敗は翌場所小結として据え置かれるのが通例だが、この時は運悪く東前頭筆頭に落とされた。

それでも地力を増していく曙を次第に止められる力士は少なくなり、92年1月に13勝2敗で敢闘、殊勲の両賞を受賞する。

5月場所では13勝2敗の成績で初優勝に輝き、場所後に大関昇進が発表された。

順調に見えた曙をアクシデントが襲う。右足を痛め新大関の7月を休場に追い込まれる。一転、角番で迎えた9月場所も前半戦からピンチに次ぐピンチであったが、なんとか9勝6敗にまとめて陥落の危機を脱した。

これで曙は一皮剥け、92年11月と93年1月を連続して優勝し場所後に外国出身者としては初の横綱昇進が決まった。

基本的にはヒール役だった曙だが、日本人の心情や相撲界のことを理解するまで成長していた。曙を指導していたのは28代木村庄之助である。曙は庄之助を師と仰ぎ、庄之助は曙に相撲全般や日本人としての心構えを伝授した。28代庄之助は近年松翁に最も近付いた庄之助として知られている。

雲竜型横綱土俵入りは四股はほとんど上がらず四股を重視するファンや関係者からは注文がついたが、せり上がりは抜群。せり上がりを重視するファンや関係者の間からは最も横綱土俵入りの上手い横綱に挙げられることもある。


-辛抱して怪我から復活、優勝、そして引退-
横綱昇進後は貴ノ花の壁となり、あらゆる最年少記録を塗り替えてきた貴ノ花も最年少横綱の記録だけは曙という巨大な壁が立ちはだかり、ついに塗り替えられなかった。

曙は1993年7月場所から3連覇を達成。この頃が全盛期と見る向きが多い。立合いから強烈な突きを3発も浴びれば大抵の力士は土俵の下であった。

しかし、200`を超える体重には膝や腰に負担をかけ、94年5月場所ではついに膝を負傷し休場。長い低迷期に入る。

98年2月に行われた長野オリンピックでは開会式で横綱土俵入りを披露。体調不良の東正横綱・貴乃花の代わりという形であったが、持ち前のせり上がりを世界にアピールした。

99年は3場所で全休、1場所で途中休場、優勝は0で限界説が公然と流れていたが、2000年に入ると突如として復活する。1月、3月、5月と11勝→12勝→13勝と復調すると、7月には13勝2敗で19場所ぶりに幕内最高優勝に輝く。9月も12勝3敗の成績を残し、11月場所も14勝1敗で11回目の賜杯となった。

中でも最後となった11回目の優勝を決めた11月場所では誰も成し遂げた事がない「横綱大関七人斬り」をやってのけ伝説となっている。

しかし、膝は既に限界。01年1月場所を全休するが回復の見込みが立たないため、ついに引退を発表した。

優勝回数はライバル貴乃花の22回の半分に終わったが、直接対決は21勝21敗と五分、優勝決定戦を含めても25勝25敗と五分であった。特に横綱時代前半は双子山部屋全盛期であり、対戦相手が貴乃花に比べて厳しいことを考えれば、致し方ないことである。

一時は年寄として東関部屋で後進の指導にあたっていたが、退職しプロレスラーや格闘家に転身した。

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