36代横綱

羽黒山政司


-双葉に隠れた影の大横綱-
戦後の混乱期を支えた横綱。双葉山がいなければ一時代を築いていた。本名は小林正治。

農家の次男として生まれ、1929年1月に東京の銭湯に奉公に出た。その奉公先の銭湯があったのは幸か不幸か両国。成長と共に素晴らしい体となり、すぐに親方衆の目に止まる事になる。

当初は「相撲は大嫌い」とオファーを断り続けたが、粘り強く誘い続けた元小結・緑島の立浪親方に根負けする形で立浪部屋に入門した。33年の暮れのことだった。

34年1月場所で初土俵を踏む予定だったが、怪我で5月に延期された。この初土俵の舞台で5戦全勝で前相撲を突破した。


-伝説の各段優勝-
35年1月場所は5勝1敗で序ノ口優勝すると、5月場所では序二段で6戦全勝、36年1月は三段目で6戦全勝、5月は幕下で10勝1敗でいずれも優勝という快進撃。

37年1月場所も十両で9勝2敗の成績を残して優勝。各段で5場所連続優勝し6場所目で新入幕という空前絶後のスピード出世であった。

入幕後も9勝4敗、10勝3敗の好成績で38年5月場所は新小結に昇進した。新小結でも7勝6敗、翌場所も8勝4敗と結果を残して39年5月には関脇昇進を果たす。

この場所は初の15日制で行われたが、11勝4敗と立派な星を残して大関・鏡岩が引退したこともあり、関脇在位1場所で大関昇進を決める。

取り口は守りの手堅い相撲であったが、この頃から右上手を掴んでからの寄り、吊り、投げと攻撃的な相撲へと変わっていった。

41年は1月に14勝1敗で優勝した双葉山と同じ星を残した。5月場所は初日から10連勝しするなど14勝1敗でついに念願の初優勝。同時に各段優勝の偉業が完結した。場所後に横綱免許も授与される。


-2度のアキレス腱断裂からの復活-
横綱土俵入りは太刀山の不知火型を30数年振りに復活させた。

横綱昇進後は同部屋の先輩・双葉山を前になかなか優勝に届かない場所が続く。

1944年5月場所でようやく10戦全勝で横綱として初優勝を飾った。

45年限りで双葉山が引退すると「いよいよ、ワシの時代が来た」と語ったのは有名だが、その通りで戦後の一番苦しい時期を一番支えたのは羽黒山だった。

45年11月場所で手始めに全勝優勝。1年間本場所が開催されず、妻である絹代さんと長男がこの間亡くなる不幸もあったが、46年11月場所では13戦全勝、連覇を決めた。

47年7月、11月両場所でも優勝して4連覇を達成。殺人的な食糧難の時代に苦しい大相撲を支えていたのはこの羽黒山である。

まさに全盛期を迎えていた羽黒山であったが、48年4月の奈良巡業でアキレス腱断裂の重傷を負う。さらに7月の北海道巡業でも横綱土俵入りの際に再びアキレス腱を断裂する。

再起は無理との見方もあったが、49年5月場所で土俵に戻ってくると11勝4敗のまずまずの成績を挙げる。

最後の輝きを見せたのは52年1月場所は初日から14連勝。千秋楽で千代の山を退け、奇跡的な復活優勝を全勝で飾った。

53年9月場所限りで引退。横綱在位12年2ヶ月は未だに破られていない。

引退後は立浪を襲名して、弟子の育成にあたり協会では理事も務めた。

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