27代横綱

栃木山守也


-相撲の型を完全に身につけた最後の力士-
歴代最軽量でありながら、歴代最強ともいわれる栃木山。

「相撲の型を完全に身につけた力士は栃木山が最後だろう」と天竜は評している。

完成されたハズ押しは大きな相手でも一気に押し切り、後にはレールのような2本線がくっきりと残っていたと伝えられる。

地元で肉体労働に従事していたが、力士を志望して妊娠中の妻を置き去りにして18歳で上京する。この時に初めて海を見て「でっかい川だなぁ」と言ったエピソードは余りにも有名。本名は横田(のちに中田)守也。


-太刀山を破り全国区に-
出羽ノ海部屋に入門して1911年2月場所、初土俵を踏む。序ノ口から負け知らずの21連勝を記録し、各段1場所で通過し幕下まで到達する。

14年1月には十両昇進を果たす。十両も2場所で通過し15年1月に新入幕、この場所で初めて1場所で2敗を喫するものの8勝2敗の好成績を残した。

16年5月には小結となり、この場所8日目に56連勝中だった横綱・太刀山を破り全国に名を轟かせた。モロ差しからの堂々の寄りきりであった。勝って引き上げる彼の背中には100円札(現在の価値で10万円程)が2枚貼り付いていた。

17年1月に関脇に昇進。この場所では6勝3敗1分けと満足のいく成績ではなかったが、場所後に大関に昇進した。

新大関の17年5月に初優勝を果たす。翌18年1月場所も全勝優勝を決める。場所後に横綱昇進が決定。大関は2場所で通過する。


-横綱昇進後も安定した強さ-
横綱昇進後も安定した強さを見せ続けた。優勝を逃す事もあったが、それでも2位、または3位に入る成績を必ず残す。

共に一時代を築いた大錦が1923年1月の三河島事件で引退したのに対し、栃木山は残り、相変わらずの強さを見せていた。

1924年1月場所から3連覇を達成。ところが、3連覇を達成した後の25年5月引退を表明する。

「力が衰えてからやめるのは本意ではない」と説明したが、3連覇中の横綱が突然の引退を迎えた。

頭髪が後退して観客からハゲと言われるのに耐えきれなかった為という説や別格横綱の名の下で番付で張り出されていたのが納得出来なかった等の諸説があるが、今だもってはっきりしない。

横綱としての成績は抜群で115勝8敗で勝率は.935。横綱としての勝率が.900を超えたのは栃木山が最後である。


-引退後6年経過しても最強だった男-
常陸山から唯一人独立を許されていた為に独立して春日野部屋を創設。

年寄・春日野として活躍していた引退7年目の1931年6月の「第1回大日本相撲選士権大会」にすっかり頭が禿げた春日野は出場。他に数名の年寄りも現役に混じって参加したが早々に敗退する中、春日野は大関・大錦などを破りなんと優勝してしまう。これには協会幹部からやり過ぎとお叱りを受けたと言われている。

その声あってかディフェンディングチャンピオンとして参加した第2回は大錦に敗れている。なお、再び第1回のような事態が起こらないように第3回以降は年寄は参加禁止となった。

ともあれ現役引退は衰えによるものではないことが判明した。それだけに突然に引退は今も謎に包まれている。

当初はなかなか弟子が育たず苦労したが、徐々に育ち始め横綱・栃錦を育て上げた。どちらかと言うと春日野部屋は彼が隠居した後に盛り上がりを見せたが、横綱・栃ノ海や大関・栃光といった名力士を輩出した春日野部屋の基礎を築いた。

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