25代横綱

西ノ海嘉治郎(2代)


-地味ながら角界への貢献大-
種子島出身の異色横綱は15歳の頃から島一番の大男として評判だった。本名は牧瀬(のちに近藤)休八。本人や周囲は角界入りに積極的だったが、父親が断固反対していた。

これを見た同郷の先輩、元関脇・逆鉾が父親を説得し、初代西ノ海の井筒部屋に入門する。


-太刀山の連勝記録を止める-
種子島という名前で1900年1月に初土俵。出世は早く02年5月場所には早くも幕下に到達した。幕下時代から「幕下三人男」の一人として有望株に挙げられていた。

05年5月に十両入り。ここでは2場所続けて好成績を残し、06年5月入幕を果たす。

毎場所確実に勝ち越して、4場所目の08年1月には関脇に昇進した。09年6月には師匠の四股名であった西ノ海と改名。年寄・井筒も兼務して土俵に上がった。

09年6月場所で5勝2敗2分け1休と飛び抜けた好成績ではなかったが、関脇を4場所連続で務めた点や横綱・梅ヶ谷と引き分けた点が評価され大関に昇進する。

取り口は鳳のような派手さはなかったが、左四つに相手を組み止めて出る相撲ぶりは熱心なファンを唸らせた。

12年1月場所8日目には当時43連勝中だった横綱・太刀山と対戦。横綱を叩き込んで大殊勲を挙げる。次の日から太刀山は再び56連勝を記録している為、この敗戦がなければ100連勝を記録していた計算になるから大きな大きな1勝である。

なお、この一番は八百長であったと太刀山は語っている。


-長年大関を務め上げた事が評価され横綱に-
大関在位7年を数えた1916年1月場所でついに西ノ海は初優勝を遂げる。

長年大関を務めてきた実績が評価され功労的な意味も含め、場所後に横綱昇進を果たした。満36歳の遅咲き横綱であった。

18年5月場所限りで引退、結局、優勝は1回だけであった。


-井筒部屋黄金期をつくりあげる-
関脇時代から年寄・井筒を兼務していたが、弟子指導のうまさは際立っていた。

横綱・西ノ海(3代目、源氏山改め)、大関・豊國、関脇・錦洋、小結・宮城山など多くの関取が誕生し大正期から昭和初期にかけて井筒部屋は部屋発足以来最高の繁栄期を迎えた。

協会内でも人望が厚く要職を務めた。


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