24代横綱

鳳谷五郎


-歴代屈指の男前横綱-
スピード感あふれる華やかな相撲と端麗な容姿で人気を博した。独特の掛け投げは「鳳のケンケン」と呼ばれ一世を風靡した。本名は滝田明。

元三段目力士の父親を持ち、自身も大の相撲好き。奉公先を抜け出し、1900年夏に上京して宮城野部屋の門を叩くが、小さすぎると断られる。粘り強く何度も通い続けてようやく入門となった。

新弟子検査は基準の164cm、60`に届かなかず、お情けで合格し力士生活をスタートさせる。


-寝ずの猛稽古で出世-
大鳥の名前で1902年1月初土俵。

大鳥は体が小さく、人と同じではダメと猛稽古を積んだ。それは部屋の力士達が「こいつはいつ眠るのだろう」と呆れるほどだった。

序ノ口こそ2場所、序二段は3場所かかったが、三段目を1場所で通過する。幕下も4場所で通過。幕下4場所目の08年1月に鳳と改名する。この時期は宮城野部屋の財政状況が悪化し、苦しい時期でもあった。

新十両で迎えた08年5月場所で好成績を残して、09年1月に新入幕。21歳の若さである。

入幕早々に大関・駒ヶ嶽を倒すなど若手注目力士として名を知られるようになる。

10年1月、関脇に昇進。天性の容姿も手伝い女性の人気は高く、女性の相撲ファン獲得に大きく貢献した。


-協会の強い推薦で横綱に-
その後はしばらく三役と平幕を往復していたが、1912年1月場所に横綱・常陸山、そして苦手の大豪を破った。続く5月場所でも7勝1敗2分けの好成績を残して場所後に大関昇進。

大関になっても、体は決して大きい方ではなかったが、強靭な足腰、華やかな掛け投げで人気の方は高まるばかり。

大関としても安定した成績を残し続け、休場明けの15年1月場所で2度目の優勝を全勝で決める。

協会は鳳を横綱に推薦する。吉田司家側は時期尚早として難色を示したが、人気抜群の鳳を昇進させたい協会の意向に押し切られる形で鳳に横綱が授与された。


-常陸山の呪縛によって失われた魅力-
横綱昇進後、鳳らしさは失われていった。

スピード感溢れる相撲は影を潜め、受けて取る相撲へと変化した。これは当時、人々の記憶に深く刻まれていた常陸山の相撲に影響を受けている。

常陸山を意識した結果、らしさを失い横綱昇進後に一度も優勝は出来なかった。

晩年は糖尿病を患い、負け越しも経験した。1920年5月場所は全休しそのまま引退。33歳だった。

引退後は宮城野として後進の指導にあたった。これといって大成した弟子は現れなかったが、協会では理事など務めて人望は厚かったとされている。

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