初代横綱

明石 志賀之助
(AKASHI SHIGANOSUKE )



-人々の心に生き続けた伝説-
徳川3代将軍・家光より「日下開山」の称号を授与されたとされる力士。歴代横綱の中でも唯一実在が疑われている「神話の世界の横綱」。史実性が低いものの、初代横綱として日本相撲協会が公認しているのは江戸中期より大衆によって語り継がれきた歴史があるからだろう。


-宇都宮藩出身の怪物-
身長は8尺3寸(251cm)、体重は49貫(184`)。本名は山内志賀之助。
超人的な体格を持つ明石は宇都宮藩出身。藩士の山内主膳の子とされ幼名は鹿之助である。

江戸初の勧進相撲を行い成功を収め、京都の天覧相撲では上方の大関・仁王仁太夫を打ち負かした等の伝承が伝わっている。

仁王仁太夫も227cmと負けずの体格の持ち主で2人あわせて478cmは確認のしようがないが、事実ならば大相撲史上最高身長対決だ。

この一番は明石が目よりも上の高さに持ち上げられたが、なんと空中で一回転して仁王の胸を蹴り倒すという物理法則を無視した勝ち方で制したらしい。なお、今日のルールでは胸や腹を蹴る行為は反則で、明石の蹴りも反則負けになる可能性が極めて高い。

取り口については不明だが、常識的に考えれば巨体を活かした力相撲である。しかし文献では「牛若ノ弁慶ニ遇ウガ如シ」とも紹介されている。

解説を加えるまでもないかもしれないが、源義経は京で999本の刀を奪った武蔵坊弁慶を五条大橋の橋の欄干を利用した身軽さで降参させたと伝えられる人物である(史実ではない公算が極めて高い)。

251cmの巨体に伝説として伝わる源義経のような俊敏性があれば、まさに最強であっただろう。前述の仁王戦も人間離れした身のこなしを見せている。

しかしながら65歳の鎌倉十七に敗れる横綱としてはあるまじき失態も記録に残っている。


時代が下って1894年、幕末期に活躍した12代横綱・陣幕久五郎により横綱として数えられ、これを日本相撲協会も踏襲して初代横綱として今も名前は残る。


                         

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