17代横綱

小錦八十吉
(KONISHIKI YASOKICHI)


-父は土地相撲大関-
土地相撲で大関を務めた父を持つ。本名は岩井八十吉。

父は何としても息子を力士にしたいと考え、夢を我が子に託す形で高砂部屋に送り込んだ。

稽古は厳しさを極め、何度も脱走しながら番付を上げていった。

三段目の頃から若手注目力士として知られるようになり19歳で新十両、21歳で新入幕を果たす。


-新入幕から破竹の39連勝で大関に-
小錦は入幕してからしばらく、全く負けなくなる。勢いは誰も止められず、1890年、23歳にして大関昇進する。幕内無敗で大関に昇進した。

取り口は速攻相撲。立合いから激しい突っ張りで勝負を決めていた。当時は四つ相撲力士ばかりが幕内を占めており、速攻相撲の小錦に対応できなかった。平成の大型力士が朝青龍にほとんど対応できなかったのと似ているのかもしれない。

「狂える白象」とも称され、色白で人気の方も抜群。女性や子どもといった従来相撲にあまり関心のなかった層にも人気があった。

大関を7年間務め上げた97年3月の九州巡業中に吉田司家より横綱免許状が授与された。

番付にもしっかりと「横綱」の二文字が記されて西ノ海から始まった横綱は地位という流れが確立した。

横綱昇進時には既に全盛期を過ぎており、特に初日に弱く「小錦とあたるなら初日」と他の力士は願ったといわれる。

1901年1月場所後に引退した。

引退後は年寄として活動。取締に就任した時期もあった。仕事ぶりは平年寄と変わらず、よく働いたとされ評判は上々であった。

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