15代横綱

梅ヶ谷 藤太郎(初代)
(UMEGATANI TOTARO)


-相撲道中興の祖-
明治維新後の相撲衰退期に勝ち続け、天覧相撲で大相撲の息を吹き返らせた強豪横綱。

少年時代に地元の草相撲で活躍。本名は小江藤太郎。

1863年6月、大阪相撲でデビューする。破竹の勢いで番付を駆け上がり70年3月大関に到達。25歳で大阪の頂点を極めた。


-大阪出身者への露骨な差別-
もう大阪で相手になる力士はいないと、東京相撲に参戦する。1871年3月玉垣部屋所属力士としてデビュー。初土俵は本中(前相撲と序ノ口の間)という不当にも思える扱いであった。さすがに相撲にならず、場所中に幕下格に昇格した。11月に幕下二段目に昇進。

大阪大関に彼にとっては屈辱だったに違いない。これは陣幕が大阪で活動していたため、陣幕への当てつけであったといわれる。

74年12月、ようやく入幕を果たす。


-伝説の天覧相撲-
1876年9月には福岡での興行中に秋月の乱が勃発。反乱士族の平定に協力する。

76年〜81年にかけて58連勝を記録して無敵ぶりを発揮。79年1月に大関に昇進する。新大関・若嶌に82年1月場所の9日目に敗れるが、ここから再び35連勝。この連勝中の84年2月に横綱免許が吉田司家から授与された。

彼の相撲人生のハイライトは84年3月の天覧相撲。大達との一番は30分以上に渡る大熱戦の末に引分。明治天皇は大喜び。大相撲は存亡の危機から脱した。

85年1月限りで引退。


-国技館建設に尽力-
引退後に相撲常設館(国技館)建設計画が具体化。最大のネックは資金面であったが、人望が厚かった梅ヶ谷が無担保で40万円(現在の貨幣価値にすると約100億円)もの大金を銀行から借りてきて建設。

彼の徳望がいかに厚かったを物語る。

1928年6月15日、83歳で亡くなった。これは横綱長寿記録であり、いまだに破られていない。

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