14代横綱

境川 浪右衛門
(SAKAIGAWA NAMIEMON)


-母親譲りの怪力-
明治維新後、相撲界はピンチを迎えた。

近代化をスローガンに始まった改革の風の中で伝統の大相撲は近代化と相容れないものとして見なされた。

苦しい時代を支えたのは14代横綱・境川。

彼の母親は怪力として地元では有名で、本人も江戸の小西屋で奉公中の15歳頃に境川(5代目鬼面山)の目に止まり角界入りをする。本名は宇田川(のちに市川)政吉。


-奉公先の恩に報いる-
前相撲から取り進み、四股名は小西川。かつての奉公先の小西屋から取られた。

出世はハイスピードで1860年10月に幕下二段目に昇進。幕下二段目時代には四股名を四方山と改める。これもかつての奉公先の小西屋の酒のブランドである「四方」から取られた。

67年4月には26歳で入幕を果たす。地力もどんどん付いていく。この頃には姫路藩のお抱えになっていた事情から増井山と名を改めていた。

68年4月には関脇に昇進。70年4月、ついに大関の地位を手にした。同時に境川と改名する。


-理想の横綱相撲-
境川はどんな相手でも決して適当に立ち上がることはなく、相手に十二分の力を出させてから、勝負を付けるというスタイルであった。

決して大きな体ではなかったが、相手の声で立ち上がり、四つに組み止めた上でねじ伏せる。今日でいういわゆる横綱相撲である。対戦相手からも高い尊敬の念を抱かれていた。

1876年12月、五条家より横綱免許を授与される。通例では吉田司家の免許状を持って横綱とされているが、境川の場合は76年の五条家免許で横綱と認定されている。当時吉田司家と東京相撲会所が疎遠になっていた為である。吉田司家からも最終的に追認されている。

81年1月に引退。実力だけではなく人格者でもあり、明治の谷風と呼ばれた。

引退後は取締に選出され新しい相撲界の基礎を築かんと奮闘した。しかし、弟子が境川の妻の不倫相手を殴って川に放り込み死に至らしめてしまう事件や会所内部の激しい意見対立に心労が祟り46歳で死去した。

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