13代横綱

鬼面山 谷五郎
(KIMENZAN TANIGORO)


-数え26歳の新弟子-
滋賀県長浜で肉体労働に従事しているところをスカウトされる。年齢はなんと数え26歳。本名は田中新一。

師匠は武隈文右衛門で数え27歳の1852年2月に江戸相撲でデビューする。勧進元がちょうど武隈武隈の番だったので幕下二段目付け出しの好待遇だった。

取り口は力任せであり、結構負けてもいたが、姫路藩のお抱えであったため番付編成面で優遇を受けていた。

57年1月に阿波徳島藩にお抱えを転じて、鬼面山と四股名を改め入幕を果たす。


-雲竜の引退で大関に-
入幕3場所目の1858年1月、前頭2枚目で8勝2敗の大勝ち。興行中止を挟んだ次場所は小結でここでも8勝1預りと他を圧倒する。

62年11月に関脇、雲竜が引退した65年11月はついに大関の座を手中にした。


-番付から除外騒動-
1866年11月の番付から突如鬼面山の名前が消えた。原因は定かではないが、阿波徳島藩と江戸相撲会所の間に何らかのトラブルがあったのではないかと推測される。

その後、東張出三役格に降格しながら復帰を果たす。

67年4月場所7日目の陣幕戦は朝から超満員となり、桟敷席には阿波藩(鬼面山のお抱え)、薩摩藩(陣幕のお抱え)が刀に手をかけている。何かあれば斬りに行く構えだ。結果は熱戦の末、引分だった。

68年6月に大関復帰。

69年2月にはついに吉田司家から横綱免許が授与された。数え44歳の高齢新横綱。しかしながら、必ずしも功労的な意味合いだけではなく、直前の68年11月は9戦全勝の成績を残している。

70年11月に引退し、翌71年7月に亡くなった。

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