関脇

貴闘力 忠茂
-闘志の塊-

生年月日 1967年9月28日
初土俵 1983年3月
新十両 1989年5月
新入幕 1990年9月
最終 2002年9月

得意手 突き、押し、張り手、いなし
四股名変遷 鎌刈→貴闘力
所属変遷 藤島→双子山
通算成績 754勝703敗2休(118場所)
幕内成績 505勝500敗(67場所)
幕内最高優勝 1回
幕内優勝同点 1回
幕内準優勝相当 1回
三賞 14回(殊勲3、敢闘10、技能1)
金星 9個


-小学校卒業後に入門志願-
ほとばしる闘争心が売りの力士。

本名は鎌苅忠茂。1967年9月28日生まれで兵庫県神戸市出身。

小学校卒業後に貴ノ花に入門を直訴したが、当時は義務教育終了後しか入門出来ないルールに変更されていた為、一度は地元に帰される。

中学を卒業し改めて引退し年寄・藤島を襲名していた貴ノ花に入門した。


-尿管結石で大関逃す-
1983年3月に初土俵。89年5月に十両昇進まで鎌苅の本名で取っていた。十両昇進後に貴闘力に四股名を変える。90年9月に新入幕。

強気な性格で格上のベテラン力士相手でも臆せず張っていった。相手も強気な力士の場合だと壮絶な張り合いになり、土俵上で血が見られることもあった。

平成時代においては珍しく、制限時間一杯前でも積極的に立っていった。気合が乗ればいくという相撲本来の立合いの体現者だ。

91年5月場所に新小結。3日目には千代の富士をとったりで破り、この一番を最後に千代の富士は引退した。次の7月場所では関脇に昇進するに至った。

三役〜幕内上位で主に取り、勝ったり負けたりという成績であったが、幕内2桁枚数では地力が違ったようで東前頭12枚目に落ちた94年3月は12勝3敗で曙、貴乃花と巴戦に進出した。

全盛期は96年に迎えた。1月は東前頭筆頭で12勝3敗の成績で3月から関脇に復帰すると5場所連続で三役を務めた。7月10勝、9月11勝を挙げて、11月は大関を目指したが、尿管結石の影響で逃した。この場所が最も大関に近づいた場所になった。


-32歳で幕尻初優勝-
大関を逃した後も関脇〜幕内上位で活躍していた。特に横綱・曙に強く曙から15勝を挙げている。対曙15勝以上は他に貴乃花、若乃花、武蔵丸の3名だけである。弟弟子の貴乃花にはどんなに心強かったことだろうか。

そんな貴闘力も1999年に入ると力に陰りが見えてくる。11月場所では2勝13敗の大負け。これは幕内上位だったから仕方ないにしても東前頭10枚目に落ちた2000年1月場所は大勝ちを期待されたが、6勝9敗と負け越し3月には東前頭14枚目の幕尻まで落ちた。

既に32歳。限界説も語られる中、本人も負け越したら引退と背水の陣で臨んだ3月場所。

貴闘力は危ない相撲も少なくなったが、初日から12連勝。12日目終了時点で2差をつけて単独トップ。

13日目、14日目は横綱相手に連敗を喫したが、単独トップは守っていた。千秋楽で小結・雅山と対戦し土俵際逆転の送り倒しが決まって初優勝を決めた。初土俵から102場所目、32歳5ヶ月での初優勝は最も遅い記録である。

義理の父である大鵬と比較されていた貴闘力は息子に「父ちゃんだって強いんだぞ」と胸を張った。

大鵬も「私の32回の優勝より、今場所の貴闘力の優勝が一番嬉しいことだ」と義理の息子を労った。

この一番で息を吹き返した貴闘力は2年余り相撲を取り、2002年7月場所限りで引退した。


-解雇され焼肉屋に転身-
年寄・大嶽を襲名し既定路線通り義父の大鵬部屋を後継する。しかし、2010年6月に大相撲野球賭博問題で解雇され、焼肉本店ドラゴをオープンさせた。

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