大関

清水川 元吉
-史上最高に劇的な力士-

生年月日 1900年1月13日
初土俵 1917年1月
新十両 1922年1月
新入幕 1923年1月
最終 1937年5月

得意手 上手投げ 右四つ 寄り
四股名変遷 清水川
所属変遷 二十山
通算成績 272勝157敗1分8預48休(53場所)
幕内成績 193勝130敗1分2預44休(34場所)
幕内最高優勝 3回
幕内準優勝相当 ?回


-史上最高に劇的な力士-
本名は長尾米作。相撲好きの父を持ち劇的な相撲人生を送った。劇的の前に「悲」の文字を加える人もいる。現在に至るまで知る人ぞ知る戦前相撲界屈指の存在である。


-遊び過ぎて、トラブル、破門-
二十山一行が青森巡業中に父同伴で入門志願。一度は下痢で体重が激減したことを理由に断られるが、東京まで押しかけ1917年1月に初土俵。

左上手を武器に、番付を駆け上がり26年1月には新小結となる。しかし、私生活面で度重なるトラブルを起こして28年1月場所限りで除名(今日の除名とは若干異なる)される。既に28歳、廃業かと思われた。

その後、満洲を放浪していたところかつての贔屓である関東軍司令官・白川義則大将と巡り合い、添書をもらい協会復帰を懇願した。

しかし、陸人大臣経験者で陸軍大将の推薦をもってしても協会にこれを拒絶される。


-父の自殺で協会復帰が叶う-
諦めきれない清水川は入門志願の時に同伴した相撲好きの父と共に上京し、嘆願したが、これも叶わない。

父は最後の手段に出る。自らの死をもって協会に復帰を訴えた。

父の遺書が協会に届けられると協会幹部による会議が開かれ、この席で清水川の例外的な復帰が認められる。

1929年末、ついに清水川は十両尻格で復帰する(幕下格という説もあり)。


-奇跡的な大関昇進、綱にもあと一歩まで迫る-
既に30歳近くで、顔見せ程度の復帰と見る声も少なくなかった。

しかし、1930年1月に返り入幕を果たすと、31年1月に小結復帰。32年の春秋園事件では協会に残り、32年5月には大関昇進を果たす。もはやこれは奇跡に近い。

三役に復帰した頃に下の四股名を米作から元吉に変えている。米作は本名だが、三役らしからぬ元吉という名前は命を絶った父の名前である。

34年5月に11戦全勝で優勝。いよいよ横綱かと思われたが、34年秋巡業中に大腿骨脱臼の重症を負い、抜群のキレを誇った左上手投げも影を潜め、37年5月に引退した。

引退後も追手風として協会に残った。
                         

忘れたくない力士たちトップへ戻る