大関

雷電 為右衛門
-史上最強と言われる無類力士-


生年月日 1767年1月?日
初土俵 1790年11月(関脇でデビュー)
新入幕 1790年11月
最終 1811年2月

得意手 突っ張り、寄り
四股名変遷 雷電
所属変遷 浦風
通算成績 254勝10敗41休2分14預り5無勝負(35場所)
幕内成績 254勝10敗41休2分14預り5無勝負(35場所)
幕内最高優勝相当 25回 
幕内準優勝相当 不明


-史上最強力士-

史上最強横綱は誰かという議論になった場合、横綱でもないのに必ず名前が挙がるのがこの雷電為右衛門。本名は関太郎吉。1767年1月生まれ。

数字上は超一級力士、 江戸相撲で21年間活躍し254勝10敗 2分14預 5無勝負。勝率では谷風の258勝14敗16分16預5無勝負を上回っている。

横綱ではなかったが、雷電は別格の存在で陣幕が作成した横綱力士碑にも「無類力士」として刻まれている。類する存在が無いのである。

-初土俵から最強-
入門前から様々な伝説が残っているが、中でも有名なのが15歳の頃に中仙道の碓氷峠を荷馬を引いて歩いていたところ、進行方向から大名行列が来た為、荷馬を担ぎ上げて行列を通したエピソードだ。

1783年の浅間山の大噴火で生活が困窮し、江戸相撲の巡業一行に引き取ってもらう。

すぐにデビューせず力を充分につけて、1790年11月場所に関脇として初土俵を踏む。お抱えは松江藩の松平家。

この場所で8勝2預りの幕内力士で最も優秀な成績を修めたのを皮切りに勝ち続けた。21年間で喫した黒星は10。一場所で2敗以上したことはなく、雷電から2勝した力士は花頂山のみである。

ライバルに近かった存在は大関・柏戸。その柏戸も小結時代に1勝しただけにとどまる。

雷電が負けた相撲は立合いの変化ばかりで正攻法で敗れた相撲は江戸本場所では0。上覧相撲で陣幕に立合い一気に持っていかれた例のみとされる。

その他にも勝率.962(幕内歴代最高勝率)、44連勝(歴代8位)、30連勝以上を4回(歴代でも雷電と大鵬のみ)、年2場所制ながら優勝相当回数25回、全勝優勝7回と圧倒的である。

あまり強さに鯖折りなど一部の技が禁じ手とされたという話が流布されるが、これは史実でない公算が大きい。

1811年2月に44歳で引退。松江藩相撲頭取に就任し、7代横綱・稲妻雷五郎を見出した。

-雷電はなぜ横綱になれなかったのか-
これだけ強い雷電がなぜか横綱にはなれなかった。どうしてなれなかったのかいまだにはっきり分かっていない。

本人辞退説、大名同士の力関係説、当時は横綱とは谷風と小野川にのみ適用される称号と解釈されていた説…。

陣幕も無類力士と選定した為、雷電の実力は疑っていなかったはず。多少強引にでも初代〜3代までのように横綱に祀り上げていてもおかしくないはずだが。

いまだもって謎である
                         

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