-フグにあたり亡くなる-
そして迎えた運命の1933年9月30日。山口県萩市に巡業に訪れていた沖ッ海は自ら名物のフグを調理し食べた。このフグの毒にあたってしまった。中毒に苦しんだ末に亡くなった(沖ッ海フグ中毒死事件も参照)。

師匠の娘との結婚も決定し、部屋を継ぐ事も内定していただけに周囲はひどく落胆した。協会も春秋園事件のダメージが消えないうちに人気力士を失い、興行面でもダメージを受けことになった。


-沖ッ海が亡くなった影響-
たらればは禁物というが、もし悲劇が起こらなければ、その後の相撲史は大きく変わっていたと思われる。

まだ23歳mすぐに大関に間違えなく昇進していただろうし、横綱も現実的な目標だった。当時は玉錦の一人横綱体制であり、もう一人の横綱誕生が待たれていた状況。結局は武藏山を昇進させたが、これが沖ッ海だったとしても何の驚きもない。

双葉山の69連勝はなかったのでとはよく言われるが、その他にもファンの間からは次のような声が挙がっている。

☆双葉山単独時代はなかった。当然、69連勝も有り得なかった。

☆双葉山台頭(1936年5月場所以降)前までには横綱になっていた。

☆武藏山や男女ノ川は横綱になれなかった可能性が極めて高い。

☆沖ッ海時代として一時代を築き、双葉山に代わって大横綱になっていた可能性さえある。

上のような空想が出るほど、若くて強い力士だった。本当に残念である。今の時代からでもそう思ってしまう。

                       

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