前頭2枚目

南海龍 太郎
-酒に溺れた超大器-

生年月日 1965年2月22日
初土俵 1984年9月
新十両 1987年5月
新入幕 1987年11月
最終 1988年11月

得意手 左四つ、すくい投げ、寄り
四股名変遷 南海龍
所属変遷 高砂
通算成績 145勝94敗1休(26場所)
幕内成績 44勝45敗1休(6場所)


-酒に溺れて廃業した未完の超大器-
酒を辞めれば横綱確実とまでいわれながら、結局は酒が原因のトラブルで角界を去った超大物。西サモアのアピア市にて1965年2月22日に生まれた。本名はキリフィ・サパ。

小錦の成功で味をしめた高砂部屋が2匹目のドジョウを狙って西サモアで力士スカウト活動を行った。集まった300名の候補者から選ばれた2名のうちの1名がキリフィだった。

19歳のキリフィには南海龍という四股名が授けられた。


-土俵は順調-
1984年9月に初土俵。前相撲で敗れ、三段目では連続負け越しを喫するなど不安な力士生活のスタートであったが、出世は概ね順調。

優勝経験はなく驚くほどの速さではなかったが、足運びの巧さから繰り出す突き、押しの威力は一級品。幕下上位の壁はなく87年5月に新十両。

十両も3場所で通過し11月場所に新入幕。昭和40年代生まれ初の幕内力士が誕生した。

88年5月に最高位の西前頭2枚目まで昇進する。この場所で大関・北天佑を左手一発で突きだしてしまった。


-度重なる泥酔トラブルで廃業-
大酒飲みの力士は多い。未成年の飲酒が黙認されてきたのも財団法人数多くあれど、この日本相撲協会だけだろう。

「体は酒で作る」という非科学的な理由から弟子に酒を強要させたという話もかつてはよく聞いた。特に二所一門の某部屋のかつての師匠はメチャメチャだったという話だ。

59代横綱・隆の里のようにきっかけがあり、相撲道に戻ってきた力士もいるが、芽の出ないまま酒に溺れ、わずかばかりの餞別と共に角界を去った者も多いだろう。三役目前まで昇進出来た南海龍の事例はまだ良いほうかも知れない。

南海龍がどのくらい飲めるかは正確には分かっていない。余りにも飲むので、誰も最後まで付き合えないからだ。

1987年7月、泥酔してホテルの従業員に怪我を負わせてしまった。これはうまいこと高砂部屋がもみ消したので大事には至らなかった。

88年9月場所、13日目を終えて6勝7敗。その夜に浅草ビューホテルのロビーでまらも泥酔し大暴れ。警察も出動したが、天下の大関・小錦も駆けつけたので、これも問題にはならなかった。

部屋に戻された南海龍は翌日、14日目の取組があるにも関わらず、部屋を飛び出す。

千秋楽に戻ってきた南海龍は元横綱・朝潮の高砂、そして小錦を交え話し合いを持った。ここで「相撲と酒」の二択を迫られた南海龍は酒を選択し、角界を去った。未完の超大器は23歳で土俵人生にピリオドを打つことになった。

廃業届は10月7日に提出された。高砂はこの4日後の10月11日に心労が祟って脳内出血で倒れ、23日に死去。58歳だった。


  

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