関脇

水戸泉 政人
-右上手、塩撒きが代名詞の人気者-

生年月日 1962年9月2日
初土俵 1978年3月
新十両 1984年5月
新入幕 1984年9月
最終 2000年9月

得意手 左四つ、寄り、突き
四股名変遷 小泉→水戸泉
所属変遷 高砂
通算成績 807勝766敗164休(136場所)
幕内成績 530勝556敗99休(79場所)
幕内最高優勝 1回
幕内準優勝相当 2回
三賞 7回(殊勲1、敢闘6)
十両優勝1回、幕下優勝1回


-豪快な塩撒きが代名詞-
豪快な塩撒きで、千代の富士時代〜若貴時代に欠かせなかった名脇役。

四股名のとおり茨城県水戸市に1962年9月2日に生まれた。本名は小泉政人。

中学生の時に高砂部屋のサイン会に訪れたところをスカウトされ、78年3月に初土俵を踏む。


-怪我に苦しみながらも幕内上位で活躍-
当初から190pを超える長身で将来を大いに期待された。高見山、富士櫻、朝潮らの厳しい指導もあり中卒力士の中ではコンスタントに勝ち越しを続けていたが、怪我に泣かされた。

三段目上位まで2年で到達したが、そこから幕下に昇進するまで2年近くを要している。

1982年5月に西幕下2枚目に昇進し、関取にすぐなるかと思われたが、ここから怪我や幕下上位の壁にぶつかり、新十両は84年5月場所までずれ込んだ。

この新十両の場所から代名詞の豪快な塩撒きを開始している。1回に撒く量は500グラムを超えていたといわれ、時間一杯の塩撒きは喝采を浴びるようになる。

十両は2場所で通過し84年9月に新入幕。この場所は蔵前国技館最後の場所でもある。

85年1月に11勝4敗、優勝次点で敢闘賞を受賞し翌場所は西前頭筆頭に昇進し、この場所も初の上位で7勝8敗と健闘したが、次の5月場所前に交通事故を起こし、負傷してしまう。

この影響から2場所で5勝しか出来ず、十両に逆戻り。

86年1月に十両優勝し、再入幕。復帰した3月場所では4日目から11連勝で12勝3敗、優勝次点で2回目の敢闘賞を受賞し再び上位に戻ってきた。


-度重なる負傷-
1986年9月に初の三役となる関脇昇進を果たす。

しかし、この場所で自身と同じ巨漢力士である大乃国戦で左ひざを負傷。これが重傷で3場所連続休場で再び十両に落ちる。

復帰後も状態は戻らず、十両でも苦戦し一時は幕下降格危機に瀕した事もあった。

88年3月にようやく三度目の入幕をすると、9月場所で小結として三役復帰。

この9月場所では10勝5敗の成績を残すが、番付運に泣き西から東小結に回っただけ。そして、11月にまたも大乃国戦で負傷してしまう。

この後も三役から平幕上位で活躍したが、要所要所で怪我に泣き大関への道は開かれなかった。左四つを得意とし、右上手を取ったらブルドーザーのような寄りを見せた。

形を作れずあっさりと後退しても土俵際で右上手を引けば、まさにエンジンがかかったブルドーザーにように逆襲が始まり対極点へと寄り切る姿は凄まじいの一言。

さらに上手投げもなかなかの威力であった。


-平幕優勝-
1992年7月場所。この場所の目玉は新大関の曙だったが、この曙が右足小指を骨折し休場。そんな中、西前頭筆頭の水戸泉は初日から7連勝。8日目に土が付いたが、9日目に得意の左四つ右上手の形になり難敵・武蔵丸を退ける。その後2敗となるが、13日目に琴錦を立合いのぶちかましで破ると、14日目には貴ノ浪をも下す。

支度部屋で待機していた水戸泉は信じられない光景を目にする。3敗で自身を追っていた小錦、武蔵丸、霧島が相次いで敗れ優勝が決まったのである。

優勝旗手は弟弟子の大関・小錦が務め、話題にもなった。

優勝後、水戸泉は平幕で長く活躍し、十両に落ちても取り続けた。

2000年9月場所に引退。15歳で入門し引退は38歳。22年の土俵生活にピリオドがうたれた。蔵前の幕内を知る最後の力士でもあった。

引退後は理由あって高砂を襲名出来なかったが、錦戸を襲名させてもらい錦戸部屋を創設し後進の指導にあたっている。
                         

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