関脇

蔵間 龍也
-大きな期待を受けていたが…-

生年月日 1952年12月16日
初土俵 1968年11月
新十両 1975年5月
新入幕 1976年7月
最終 1989年9月

得意手 左四つ、寄り、吊り
四股名変遷 蔵間
所属変遷 時津風
通算成績 765勝788敗25休(127場所)
幕内成績 424勝491敗15休(62場所)
三賞 3回(敢闘1、技能2)
金星 2個


-昭和天皇注目の力士-
相撲好きの昭和天皇が目をかけていたことで知られる蔵間は本名で四股名をとり、1952年12月16日に滋賀県野洲市に生まれる。

柔道2段の実力者で講道館の近江八幡支部長の吉田正太郎氏が元横綱・双葉山の時津風に紹介し、入門。

柔道の講道館の支部長が逸材を相撲に紹介して問題にならなかったのかという疑問は残るがともかくこれで角界入り。


-長身を活かしたスケールの大きな相撲-
1968年9月場所で初土俵を踏む。

のんびりだが一歩一歩出世し、75年9月に新十両。76年7月に新入幕。

取り口は左四つからの寄り。187pの長身を活かしたスケールの大きい吊りも強力なものがあった。

しかし、良い形は作るものの、そこで一休みする悪い癖があり、上位相手には善戦するものの及ばないという相撲内容を繰り返し、いつしか「善戦マン」というあだ名がつく。

78年1月に2大関を破り敢闘賞を受賞し、3月場所に小結昇進。

もともと実力は確かなものがあり、ついに大関候補が目を覚ましたかといわれた。

この小結の場所でも8勝7敗と勝ち越し関脇に昇進した。


-エレベーター力士に-
いつしかの天覧相撲で元横綱・栃錦の春日野理事長が「蔵間は大関になります」と天皇に発言。

天皇自身も蔵間に期待していたし、協会も大きな期待をよせていた。

しかし、腰痛もあって伸び悩み三役や平幕上位で大負けし、下位に下がって勝ち越し戻ってくるというパターンを繰り返すエレベーター力士になってしまった。

昭和天皇も前述の春日野の発言を覚えていて「蔵間、大関にならないね」と春日野に愚痴をこぼし、春日野もついに白旗をあげ「私は陛下に嘘を申し上げました」と謝罪。

さらになぜか蔵間を理事長室に呼び出し叱りつけた。

86年11月に十両に降格する。ここからは十両を舞台に奮闘して、まだまだ力士生活を続けるかと思われた矢先の89年9月場所前の健康診断で慢性骨髄性白血病と診断され9月場所限りで引退した。

引退後はタレントとして活躍し、分かり易い解説には定評があり、ちょうど若貴ブームと相まって解説者蔵間は人気が出た。

しかし、95年1月に悪化し亡くなった。42歳の若さだった。
                         

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