関脇

琴錦 功宗
-スキャンダルに泣いた大関級力士-

生年月日 1968年6月8日
初土俵 1984年3月
新十両 1988年3月
新入幕 1989年5月
引退 2000年9月

得意手 突き、押し、もろ差し、寄り
四股名変遷 松沢→琴松沢→琴錦
所属変遷 佐渡ヶ嶽
通算成績 663勝557敗65休(100場所)
幕内成績 506勝441敗43休(66場所)
幕内最高優勝 2回
幕内準優勝相当 4回
三賞 18回(殊勲7、敢闘3、技能8)
金星 8個
幕下優勝 1回

主な記録
三賞 18回(歴代2位)


-最強の関脇-
幕内最高優勝制度導入後、ただ一人平幕で2回優勝し、関脇以下で2回優勝しながら素行面の問題も手伝い大関に上がれなかった唯一の力士。人は彼を佐渡ヶ嶽部屋の先輩である長谷川と同様に「最強の関脇」と呼んだ。 

群馬県高崎市出身で1968年6月8日に生まれた。本名は松澤英行。

柔道もやっていたが、元横綱・琴櫻の佐渡ヶ嶽が懸命な勧誘で高校進学の意思を翻す事に成功。84年3月初土俵。


-F1相撲で大関目前-
当初は琴松沢と名乗っていた。87年11月に関取目前ということで琴錦に改名。日本語版のWikipediaには2012年4月現在においては「下位に同音の虎勝錦という力士がおり、本来は改名できないはずであったが、格違いで譲ってもらい改名を果たしている。」と書かれているが、この虎勝錦はこしょうにしきと発音したという説もあり、不正確な表記の可能性もある。ちなみにこのページで紹介している力士はことにしきである。

88年3月に新十両。89年5月に新入幕。

初の上位進出となった90年7月に東前頭筆頭の地位で9勝6敗、7日目には右喉輪で一気に千代の富士を押し出し、金星を獲得している。

スピード溢れる一気の速い相撲からF1相撲という異名を持つ取り口。突き起こしてからのもろ差しは本当に早かった。

90年9月に新小結。ここから9勝→10勝→11勝と三役の地位で3場所30勝を挙げ大関はもう目の前だった。


-女性問題で大関逃す-
ところが、場所後にスキャンダルが発覚する。琴錦には身重の婚約者がいたにも関わらず埼玉県にいる女子学生と結婚すると言いだし女性の下に行ってしまう。

しかも婚約者の方とは入籍していたことも判明し、琴錦の母は婚約者と結婚すると言うし、琴錦は入籍しているのに婚約を解消し女子学生と結婚するとわけの分からないことを主張し、日本では認められていない重婚する気かと気の毒なくらい非難を浴びた。

この問題で師匠の佐渡ヶ嶽と共に譴責に相当する厳重注意処分を受けてしまう。3月場所は大関取りのはずだったが、成績に関係なくそれどころではない雰囲気。結局、3月は9勝6敗という成績で大関を逃した。


-復活の初優勝-
1991年7月場所では精神的なダメージと左足首の故障で4勝11敗と負け越し。ここで師匠は落ち込む琴錦を強制的に故郷に帰し、リフレッシュさせた。

リフレッシュした琴錦は東前頭5枚目で迎えた9月場所で速攻相撲が冴えわたり、横綱不在の隙を突いて千秋楽まで2敗しかせず、楽日は小兵・舞の海を立合いで突き飛ばし、13勝2敗で初優勝を飾った。

さらに琴錦を勇気づけたのは理事長の元横綱・若乃花の双子山の「連覇なら大関を検討する」発言。11月は小結の地位だったが、関脇を飛び越えての昇進を認めた形だ。地力は大関級でありファンの期待も高まった。

琴錦は11月場所も本当によく闘った。13日目を終え、1敗のトップ小錦を2敗で琴錦が追走していた。14日目の直接対決で当時最強力士だった小錦を押し出し、これで並んだ。奇跡の大関昇進への道は大きく開かれた。しかし、千秋楽で先場所に続き若花田に敗れ優勝は逃す。しかもこの千秋楽の一番で琴錦は足首を負傷してしまった。

92年1月場所では怪我が完治せず、負け越し。またも大関に手が届かなかった。


-引退を撤回し2回目の優勝-
大関取り失敗後も上位で12勝、13勝という好成績を単発では残したが、これが続かなかった。

98年9月に東前頭7枚目で5勝10敗と2桁黒星。場所後に師匠に引退を申し出たが、これは師匠が烈火の如く怒り、引退は取り止めに。どうやら自動車整備士に転職しようと申し出たのが、世の中を舐めていると師匠に見なされたようだ。

次の11月場所は幕内下位とあり、初日から11連勝。貴乃花の不振もあり単独トップを最後まで守りきり、14勝1敗で2回目の優勝。

中でも琴錦が相撲人生最高の一番と振り返った13日目の横綱・貴乃花戦はもろ差しが炸裂し寄り切り。まさに完勝。取組後に師匠・佐渡ヶ嶽が職務を放棄し、琴錦のもとに駆け寄り、がっちり握手する場面が見られた。

結局、大関には昇進出来ずに、2000年9月場所中に引退した。

幕内成績は506勝441敗43休 勝率.534。三賞は歴代2位の18回。スキャンダルも含めてファンに大きなインパクトを残した力士だった。

忘れたくない力士たちトップへ戻る