小結

剣晃 敏志
-心やさしい悲劇のヒール役-

生年月日 1967年6月27日
初土俵 1984年11月
新十両 1991年3月
新入幕 1992年7月
引退 1998年3月

得意手 右四つ、左四つ、寄り、上手投げ
四股名変遷 星村→剣晃
所属変遷 高田川
通算成績 411勝410敗59休(81場所)
幕内成績 181勝224敗15休(28場所)
三賞 2回(殊勲1、敢闘1)
金星 2個


-現役死した角界のヒール役-
上位のベテラン相手にも臆する事なく張り手を繰り出し、闘志溢れる相撲が余って悪役、ヒール役のレッテルを張られた剣晃。本名を星村 敏志といい、大阪府守口市の出身。1967年6月27日生まれ。

定時制高校を2年途中で中退し、中学校教頭が元大関・前の山の高田川の恩師でもあるという縁で高田川部屋に入門した。


-TVとのギャップ-
1984年11月に初土俵。体調を崩してばかりだったので四股名つけの名手である当時の木村和一郎が剣晃という四股名を提案した。これに高田川は「剣は折れる不吉なもの」という角界の慣例に基づき、反対したらしい。ところが、意思が強かったのからなのか、弟子の意向が通り剣晃となった。

痛風に悩むなど不健康な剣晃だったが、91年3月場所に地元大阪で新十両。92年7月には新入幕を果たしている。得意としたのは右四つだったが、もとが左四つだった為、左右どちらでも取れた。

貴ノ浪キラーとして有名で、特に96年以降は9勝2敗という決定的な差をつけ、貴ノ浪が横綱に昇進出来なった原因に挙げられる。

誰であっても関係なし。横綱・貴乃花にも強烈な張り手をお見舞いした。いつしか人(デーモン小暮閣下が最初という説が有力)は「角界のならず者」というレッテルを貼った。ただ、これはさすがに本人も気にしていたようで対談にて閣下に撤回を申し入れ、新たに「角界の天然記念物」というポジティブなニックネームをもらった。

悪者イマージが先行したが、実際は親方や力士仲間からの信頼は厚く、母親想いのナイスガイだった。口癖のように「母親の為に」という言葉を使い、健康にも人一倍気を付けていて、自ら考案した「剣晃ジュース」というオリジナルドリンクを飲んでいた。ドンブリ一杯飲んでいたという話もある。

95年5月場所には小結に昇進。


-早過ぎる死-
その1995年5月場所で41℃の高熱に悩まされた。しかし、休場する事なく三役を務め上げ、そのまま入院。

原因不明の高熱が続き、点滴をうって場所を務めることもしばしば。貧血の症状も出てきた。そして97年5月場所、東前頭11枚目の地位で千秋楽に勝ち越しを決めた。この一番が剣晃最後の一番になってしまった。

7月場所から休場。これが初めての休場だった。この頃に剣晃が常日頃感謝していた母親には剣晃が助からないことが告げられていたという。剣晃の病は日本で4例しか確認されていない特殊な白血病だった。

96年3月、剣晃は亡くなった。30歳。最後の言葉は「母ちゃん、眠りたい」だったという。

師匠・高田川や部屋の力士たちは大いに悲しみ、泣き続けていた。これは悲劇である。筆者も亡くなったニュースが流れた時の衝撃を今でも覚えている。あれは衝撃というよりは恐怖に近いものがあった。これが現実なのかと。

本当に良い力士を亡くしてしまった。



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