-34歳で大関を掴み取る-
牛だからか、出世はそれほど早くなく25歳で新十両。十両昇進以前は負け越しはなかったが、3勝3敗が5回あった。

1932年の春秋園事件で離脱し、革新相撲団に参加。比較的早期に帰参。小結に昇進した1934年5月には11戦全敗を記録する。

1935年1月に10勝1敗の好成績で優勝同点。1936年は関脇の地位で8勝、9勝で1937年1月に新大関。双葉山との同時大関昇進だった。

この時既に34歳。それでも3年間本場所を休まず大関を務め上げて引退した。1938年に二枚鑑札として粂川を襲名しており、部屋の師匠でもあった。1941年に双葉山が双葉山道場を開設すると、自らを含め全員で双葉山道場に移籍し、部屋付き親方として後進の指導にあたった。


-北海道で牛に完勝-
鏡岩の怪力伝説で著名なものは牛との一番である。

牛は体重が1トン級だったそうで、年は1935年頃という説が有力。北海道巡業中のことなので季節は夏だろう。

鏡岩が牛の角二本を握り締め対戦。牛がじわじわと前に出てくるところを捻る動作で牽制しながら逆に捻ると、牛は空中を舞って背中から落ちたという。

詳細は不明な部分もあるが、牛を土俵に上げたとは考えずらく、恐らく山稽古のようなスタイルで行われのだろう。

この一番での勝利で猛牛というニックネームがついたとする説もある。

猛牛というと戦後の53代横綱・琴櫻が有名であるが、本当に牛を倒した「猛牛」もいたのである。

                         

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