大関

朝潮 太郎
-相撲の江川-

生年月日 1955年12月9日
初土俵 1978年3月(幕下60枚目格付出)
新十両 1978年7月
新入幕 1978年11月
最終 1989年3月

得意手 突っ張り、押し、いなし
四股名変遷 長岡→朝汐→朝潮
所属変遷 高砂
通算成績 564勝382敗33休(67場所)
幕内成績 531勝371敗33休(63場所)
幕内最高優勝 1回
幕内優勝同点 3回
幕内準優勝相当 1回
三賞 14回(殊勲10、敢闘3、技能1)
金星 5個
幕下優勝 1回


-人気者の大ちゃん-
親しみやすく明るい性格、大ちゃんのあだ名で一世を風靡した人気者。

1955年12月9日に高知県室戸市で生まれた。本名は長岡末弘。

小学校時代は成績はトップクラス。「勉強するなら大きい町がいい」と高知市内の中学に志願の越境入学をした程の勉強熱心さ。集団下宿生活を送っていたが、この下宿生活がプロ入り後の部屋生活への適応に役立ったと語る。

中学時代から体が大きく相撲部助っ人として活躍。市大会準優勝の成績を残した。

小津高校に進学し相撲部に入部。その後、近畿大学に進学し、ここで3年、4年と連続して学生横綱、アマチュア横綱に輝いた。

勉学への意識は高く、教員免許を取ろうとしたが、最後の教育実習だけが相撲部のスケジュール重なり、断念した。


-怪物、角界入り-
1978年3月、幕下付出で初土俵を踏んだ。2年連続学生、アマチュア横綱の偉業をひっさげての鳴り物入りの角界入り。

当時、怪物といわれた野球の江川卓にちなんで「相撲の江川」と呼ばれた。

江川の名前に違わぬ実力で幕下、十両ともに2場所で通過。11月場所で早くも新入幕。取り口は強烈なぶちかましからの突き押しの攻撃相撲。

入幕2場所目で大関・貴ノ花を破り10勝5敗で敢闘賞を受賞。次の場所から栄えある朝汐を名乗る。

80年5月に新小結。この場所で10勝を挙げ、7月に新関脇となりこの場所でも10勝して、大関リーチ。

しかし、次の場所で6勝9敗と負け越し大関取りは白紙になる。この後も三役で好成績を残し続けたが、あと一歩及ばず大関を逃し続けた。


-初優勝、大関昇進-
1983年1月、前場所から朝潮と改名し臨んだこの場所は大ちゃんフィーバー。5日目に横綱・若乃花に完勝し、引退に追い込んだのを筆頭に横綱・千代の富士、横綱・北の湖、大関・隆の里、大関・若島津を撃破し14勝1敗。決定戦でこそ琴風に敗れたが、価値ある優勝同点である。

3月も12勝3敗で、場所後に大関昇進を決めた。27歳で7回目の挑戦での昇進だった。

85年に3月場所で若嶋津との千秋楽相星決戦を制して初優勝。これが最初で最後の優勝となった。この時は十両の兄弟子の富士櫻が優勝旗手を務めて話題になる。

基本的に大関時代は8勝や9勝で凌ぐ例が多く、横綱には手が届かなかった。また、83年9月に負傷し途中休場、11月も全休で大関陥落かと思われたが、これはこの年から大関にも適用される事になった公傷制度に救われた。

北の湖筆頭に上位に強さを発揮する一方で下位力士に不覚をとる事も多く、豪快な相撲内容も相まって存在感は見せたものの、綱に近いとはいえなかった。

89年3月場所で引退。引退後は高砂部屋を継承した。


-北の湖キラーとして-
朝潮は北の湖キラーとして名高い。

○○キラーと呼ばれる力士は多々いるが、大横綱である北の湖に13勝7敗という歴然たる差をつけた朝潮こそキラーの名に相応しい。

1981年1月場所では北の湖に本割唯一の黒星をつけ、優勝決定戦で千代の富士が北の湖を破り初優勝を飾った。ウルフフィーバーとなったこの優勝にも朝汐が一枚噛んでいた。

そんな朝潮も北の湖が引退後にお得意様を1名失った事で更に苦境に立つことになった。
                         

忘れたくない力士たちトップへ戻る