1909年6月場所3日目

○太刀山(押し倒し)常陸山●


-国技館開館の場所で太刀山が角聖を撃破-
ついに両国国技館がオープンした1909年6月場所。

新時代到来を告げるような一番が3日目の太刀山-常陸山。

常陸山はいわずと知れた角聖であり、明治時代に相撲黄金期を到来させた英雄である。対する太刀山はこの場所が新大関。

当時は制限時間無制限で、力士同士がタイミングを合わせて立つスタイル。既に20分が経過。常陸山が立つ気のない空声を出すと、太刀山がこれを逆手に取り、猛然と立った。

完全に意表を突かれた常陸山。なんとか突っ張り攻撃を土俵際で右を差して組み止めることに成功する。

この時代の横綱は地で受けて立つを実践しており、立合いで損をすることは珍しくなかった。

右を差すと太刀山も体勢が崩れる。不利と見た太刀山は離れて突っ張りを繰り出す。常陸山は右を差しにくが、太刀山はこれを嫌ってなおも突き放す。

徹底して突っ張りにこだわった太刀山がついに常陸山を押し倒した。

太刀山の奇襲もあり、観客の反応はどちらかと言うと常陸山に対して同情する声が多かったともされる。

一方で当時の朝日新聞には『死力をあつめた大熱戦に観る者肌は戦慄し、皆声を呑んで潜み入った』ともあり、少なくとも凡戦ではなかったといえそうだ。


-スポーツたる横綱が伝統文化たる横綱を破る-
この一番の大きな意味として単に主役交代の一番としてのみならず、スポーツたる横綱の太刀山が伝統文化たる横綱の常陸山を破ったところを見い出せる。

常陸山までの横綱は13尺の狭い土俵で「受けて立つ」立合いを実践していた。これはスポーツとして考えれば不利なことは明らかで、「立合いで8割」と言われる相撲では致命的と言って差し支えない。

太刀山は立合いから強烈な突きで、その突きの強さは四十五日(つまりは一突き半で相手は土俵の外)という言葉に象徴され、恐れられた。

近代化、合理化への道を突き進む日本の中で、新しい横綱が古い横綱を破り、主役交代。横綱の立合いのパラダイム転換である。

天下分け目の一戦トップへ