相撲豆知識

☆夢の時代! 関東地方ではNHK+民法4局が大相撲中継 
現在はNHKのみとなった大相撲中継。
実は関東地方の1959年3月場所はNHK、現在のTBS、現在の日本テレビ、現在のテレビ朝日、フジテレビの合計5局が大相撲中継をするという大変なことになっていた。 
 
☆かつては本場所も屋外で行われていた
両国国技館が完成し、使用を始めたのは1909年6月場所。
これより前は屋外で本場所を開催していた。メインスタジアムは両国の回向院という寺。
屋外開催は当然ながら雨が降ると、中止に追い込まれる。
 
☆2日続けて晴れないと本場所は開催できなかった 
雨で中止になったとしても、次の日が晴れれば本場所は開催できる・・・と思ったら大間違い。
雨の翌日が快晴でもその日に開催するわけではなく、触れ太鼓という「明日は相撲が開催されます」というお知らせをして回るだけ。
その次の日が晴天ならば無事開催、雨なら中止となる。つまり2日続けて晴れて初めて開催できる。 

現在の両国国技館は全天候型なので中止はなかなか考えられないし、中止でも次の日はたぶんやるはず。
 
☆戦後しばらくまでは土俵の四方に柱が立っていた
1952年9月場所より前までは土俵の四方に柱が立っていた。これを四本柱と呼んでいた。
この柱の上に屋根が置かれ、柱には四色の布が巻かれていた。
四本柱は「邪魔」という理由で撤去され、現在は屋根を吊って、四本の房を垂らしている。
 
☆審判委員も土俵上に座っていた 
土俵下で目を光らせる審判委員。彼らは1930年3月場所までは土俵上に座っていた。
場所は四本柱の前で、座布団を下にひいて、勝負の判定をしていたというわけだ。 

当時は審判委員ではなく勝負検査役と呼ばれていた。
 
☆横綱が正式に地位とされたのは20世紀に入ってから 
正式に横綱が地位となったのは1909年2月の規約改正から。それ以前にも横綱はいたが、大関の中で「横綱」を付けられる者を横綱と呼んでいた。 
番付に初めて横綱の二文字が登場したのは少し前で1890年5月場所の西ノ海が最初である。
 
☆実は制限時間前でも相撲を始めても良い 
残念ながら現在はほとんどの対戦が制限時間が一杯になってから相撲を始めている。
実は制限時間がまだ来ていなくてもお互いの気合が乗って呼吸が合えば、立って相撲を始めて良いのである。
20世紀までは積極的に立っていく力士は決して珍しくなかった。
 
☆制限時間はラジオ中継開始前までは無制限だった 
現在の制限時間は幕内4分、十両3分、幕下以下2分と目安が決まっている。
かつては制限時間などなく、1時間を超えようが気が済むまでいくらでも仕切りができた。
1928年1月のラジオ中継開始から制限時間を導入。最初は幕内10分であった。 
 
☆東VS西、東西制の時代 
関東VS関西というわけではなく、出身地関係なく東と西に分かれて対戦し、勝ち星の多い方が勝ちという制度のもとで行われていた時代が長くあった。1909年から1947年まで一部の時期を除いて取り入れられていた。
いわゆる運動会の紅白対抗のようなもの。同じ部屋の力士は全員同じ方に入るのが原則。
 
☆超名門・出羽海部屋 
角界一の名門といえばこの出羽海部屋の名前を挙げる人も少なくない。部屋所属の三役力士を60年、幕内力士は100年、十両以上の力士を111年途切れさせなかったこともある。
東西制の1931年1月と3月は西の幕内力士全員が出羽海部屋所属という信じられない大記録も達成した。

しかし、この名門も2013年7月場所現在は幕下以下の力士しか所属していない。名門復活が待たれる。 
 
☆不滅の記録、666日連続満員御礼 
近年は減ってしまった満員御礼。この満員御礼がなんと666日連続で出たことがある。
若貴ブームの1989年11月場所11日目から1997年5月場所2日目まで、7年を超える期間に渡る大記録である。 
 
☆大相撲には引分もある 
大相撲には引分もある。現在もあるし、引分は戦前までは珍しくもなんともなかった。
現行ルールでは長時間決着がつかないと一度土俵を降りて、原則として二番後に取り直し、それでも決着がつかないと引分となる。
最後の幕内引分は1974年9月場所三重ノ海-二子岳の一番。
 



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