横綱相撲とは



横綱・日馬富士が一部ファンから非難を受けているポイントのひとつは「横綱らしくない相撲ぶり」だそうです。

張り手は慎むようにという旨の声は横綱審議委員会からもあがりました。

横綱らしい相撲とはどういうことか。

日馬富士を非難するファン中には少なくない人が「横綱は受けて立つべきだ」とお考えのようです。


相撲という競技の性質上、立合いは勝敗を決する重要なファクターです。「立合いで8割」が決まると俗に言われるように、少しでも先に立ちたい、有利になりたいと思うのが人情です。

古今の理想の横綱である双葉山でさえ「受けて立つ」ことは「できない相談」と言っています。

千代の富士は前廻しを取って一気に出るという攻撃的な相撲で魅了しましたし、朝青龍は手を着いているかいないか微妙な立合いが多く、こちらは「フライング立合い」などと非難をされました(ただし、手を着いていないことを理由に止められたことはなかったと記憶している)。


10番取れば8〜9番は「受けて立つ」横綱などいたのでしょうか。

歴史を遡れば、どうやら明治時代の常陸山の頃までは「受けて立つ」を実践していたようです。

「昔といっても、一時代前、常陸山、梅ヶ谷の時代でも、あきらかに何割かの損を見越して、受けて立った」舟橋聖一『相撲記』講談社、2007、230頁

とあります。

しかも我々はこの「受けて立つ」を想像する時に、ついつい現在の土俵で想像してしまいますが、それは誤り。

この時代は今よりも土俵が小さく、直径15尺ではなく13尺で行わています。当時の映像を見れば分かりますが、2尺違うとかなり小さく見えます。

「受けて立つ」は太刀山に象徴される大正時代に入ると見られなくなったそうです。太刀山のスタイルは「四十五日」と呼ばれた、猛烈な突き。四十五日とは一突き半のことで、大抵の力士は一突き半で土俵の外という意味。

その意味で旧両国国技館が完成した、あの節目の場所で太刀山が常陸山を破った一番は、まさしく、「受けて立つ」横綱が「受けて立たない」横綱に取って代わられ、スポーツたる相撲が伝統文化たる相撲を破った一番だったのです。


厄介なのは我々相撲ファンが常陸山の立合いを忘れていないことです。我々は受けて立つ横綱を忘れていないばかりか、魅力を感じていることです。

日馬富士だけが悪いわけではない。「受けて立つ」立合いなど100年前に消えたもの。それを過度に求めるのは、日馬富士が可哀想です。


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