好成績を残しながら横綱昇進が見送られた事例

5月場所で13勝2敗の好成績を残した大関・稀勢の里。

7月場所は綱取り場所となるのでしょうか。

13勝という成績、そして千秋楽に敗れたこともあり、議論を呼ぶかもしれません。

私自身は2場所連続優勝が絶対条件である必要はないと思っています。

今回は議論の参考までに好成績を残しながら横綱昇進を見送られた例を独自に選抜し紹介していきます。


ケース@ 2006年の白鵬
白鵬は新大関の2006年5月場所14勝(優勝)、7月場所13勝(1差の優勝次点)と2場所27勝という成績。しかも前年に年6場所完全制覇を成し遂げた朝青龍を7月場所の千秋楽では破っています。

私も昇進の可能性が高いのではないかと思っていましたが、7月場所で朝青龍に独走を許した(14日目に朝青龍が優勝を決めていた)という理由で見送られたと記憶しています。

白鵬の横綱昇進は2007年5月場所後にずれこみました。


ケースA 1987年〜89年にかけての旭富士
旭富士は1987年11月場所から11勝→14勝(優勝)→12勝→12勝→11勝→12勝→12勝→14勝(優勝同点、決定戦で敗退)→13勝→13勝(優勝同点、決定戦で敗退)。大関の地位で10場所合計で124勝という抜群の安定感を誇っていました。

特に1989年1月場所から3場所で40勝5敗、優勝こそなかったものの決定戦に2回進出しました。

旭富士はこの後病気の影響で不振にも陥りましたが、それを見事に乗り越えて1990年7月場所後に横綱栄進を果たしています。ケチをつけるわけではありませんが、横綱昇進前7場所中5場所は1桁白星で、8勝も3回あります。ただし、これは病気によって力を発揮できなかったためです。


ケースB 1991年〜92年にかけての小錦
小錦は1991年5月場所から14勝(優勝同点)→12勝→11勝→13勝(優勝)→12勝→13勝(優勝)で5場所合計61勝、2回の優勝です。最後の3場所も合計38勝(優勝2回)です。この時は人種差別と小錦が発言したと誤解(実際は付け人の発言)され、小錦が謝罪することになりました。

結局、小錦の場合は最後まで横綱に昇進できずに終わりました。ただ、大関陥落後に現役にこだわる姿勢は人気を呼び、全盛期をも上回る歓声を浴びていたと記憶しています。


ケースC 2004年の魁皇
魁皇は2004年全ての場所で2桁勝利、特に9月場所が13勝で優勝、11月場所は12勝(優勝次点)の成績を残しました。2場所合計25勝ですから見送りもやむを得ないのではないかという声があがりそうですが、魁皇の場合は11月場所14日目終了後に当時の審判部長が「明日勝てば昇進の可能性有」という旨の発言をし一気に地元九州のファンがヒートアップ。

千秋楽の結びで朝青龍に完勝し、横綱かと思われましたが、昇進は見送られ、ファンの中には審判部長の発言はなんだったのかと感じた人も少なくなかったはずです。

結局、魁皇は横綱に昇進できず引退しましたが、通算白星記録を作り、名大関として多くのファンの記憶に刻まれました。


ケースD 1949年〜50年にかけての千代の山
千代の山は新大関の1949年9月場所で13勝して優勝、次の1950年1月場所でも12勝で優勝、2場所連続優勝を果たしました。

しかし、当時は前田山シールズ事件、さらに横綱の地位そのものがかなり揺らいでいた時代で横綱降格騒動まで発生。この煽りを受けたと思われ、昇進は見送られ、1951年5月場所後に昇進はずれこみました。この時は5月場所こそ14勝で優勝でしたが、その前の場所では8勝に終わっていました。


ケースE 1930年〜31年にかけての玉錦
玉錦は大関の地位にあった1930年10月から3連覇を達成。しかし、昇進は見送られました。当時は年4場所制でしたが、2場所を1セットとして捉えており、3場所連続優勝でも1場所半くらいと見られていたのかもしれません。

その後、玉錦は1932年10月場所後に横綱昇進を果たしています。


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