白鵬の優勝で使われる「歴代最多」という表現について


2014年11月場所、白鵬は大鵬に並ぶ32回目の幕内優勝を成し遂げ、各方面から賞賛を浴びている。

素晴らしい記録、僕も白鵬という横綱をリアルタイムで見られたことは財産であると思っている。


ところで、「32」という数字に対し「歴代最多」という枕詞をつける例が目立つ。

その通りである。大相撲の歴史で32回幕内優勝した力士は大鵬と白鵬だけということは紛れもない事実である。

しかし「歴代最多」は誤解を招きかねない危うい表現でもある。


そもそも、優勝が正式に制度として採用されたのは1926年1月場所から。現在では慣例として1909年6月場所以降で優勝回数を数えているが、それにしてもまだ100年ちょっと。

年間場所数も時代とともに変化し、年6場所制は1958年からスタートし、2011年を除いて現在まで続いている。長い大相撲の歴史から見るとまだまだ短い。ちなみに年6場所制は歴史浅くとも、実は1年間に行う本場所数としては最多であり、7回とか10回本場所が行われたことは多分だけど、ない。

幕内優勝12回の双葉山が優勝した年はすべて年2場所である。

大相撲は長きにわたって年2場所制が基本であった。

まあ、双葉山は優勝した年が年2場所の年であっただけで年4場所制の時代にも相撲は取っていた。

驚くのはまだ早い。優勝が制度として採用される以前には現在の感覚では考えられない強豪が控えている。

横綱・谷風梶之助は年2場所制なのに、幕内優勝相当成績を21回マークしている。しかも年2場所と言いつつも、1785年は2場所とも開催されなかった。

回数でその上を行く雷電為右衛門は年2場所制で25回の幕内優勝相当成績を残している(28回説もあり)。

谷風と雷電を比較すると谷風の方が古い力士だが、そのさらに前になると9年間無敗とか12年ほど無敗という夢か現か判別つかないような記録の保持者がいるとされている。

9年間無敗とされるのは享保に活躍した谷風梶之助。「しつこいぞ、谷風はもう出ただろう」と言われるかもしれないが、有名な谷風梶之助より前に活躍していた谷風梶之助がいて、この力士が9年間無敗。

12年間無敗とされるのは源氏山住右衛門。延享に活躍したということ。


ただ、谷風、源氏山、谷風、雷電の時代は現在ではほとんど幻となった引分がしばしばあり、制度として廃止された預り、無勝負があったことも考慮しないといけない。

白鵬の対戦相手は基本的に横綱、大関、関脇、小結と前頭4枚目までの平幕力士がほとんどだが、谷風梶之助(2代)は幕下二段目との対戦が組まれていた。

双葉山の時代は最高成績を残した力士が複数いた場合は番付最上位者が優勝だった。白鵬は番付下位力士と並んだ場合は優勝決定戦に出場しなければいけない。2010年11月場所では14勝1敗で並んだ豊ノ島と優勝決定戦を取っている(白鵬がこれを制して優勝)。優勝決定戦が開始されたのは1947年6月場所からであり、それ以前は例外で1回だけ開催されたのみである。


「歴代最多」では年2場所制で圧倒的な成績を残した古の強豪の存在が忘れ去られることはないだろうか。制度の移り変わってきた歴史を反映できていないのではないか。

では、どういう表現が適切か。

個人的には「比較可能な年6場所制が開始された1958年以降で最多となる」がしっくりくる気がするが、もっといい表現もあるかもしれないと悩んでいるところであり。


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