富岡八幡宮
-相撲ファンなら一度は行きたい-

江戸勧進相撲発祥の地であり、本場所も何度か開かれた大相撲の聖地。幕末の大横綱にして建碑狂の異名を取る陣幕の記念碑が見られる。

ああ門前仲町駅から大通りに沿って東に5分ほど歩けば左手に見えてくる大鳥居。それをくぐるとすぐに左手に伊能忠敬(1745〜1818)の銅像が立っている。この人物は商人でありながら、測量家でもあり、全国を回り大変精度の高い「大日本沿海輿地全図」を作成した。出発点がまさにここ富岡八幡宮であった。

                                                         そして鳥居をくぐってすぐ右側、ちょうど伊能の目線の先には大関力士碑がある。思ったよりも大きいというのが大多数の感想だろう。右の写真がそれである。

さて、大関の名前は後方にある2つの暗い色の石に刻まれている。但しその後、横綱に昇進した力士や看板大関の名前はない。

2012年2月現在では向かって右側の石碑はもう刻むスペースはないが、左側の石にはまだまだ空きがある。現在は霧島の名前まで見る事が出来る。

一番大きいのは大関力士碑であり、左手の細長い碑は巨人力士身長碑である。この碑も300pくらいあった。巨人力士がここに刻まれている。写真のように実際の身長が刻まれている。最長身は生月鯨太左エ門の230p。まさに見上げる高さである。

この他にも大関・釈迦ヶ嶽ら長身力士が刻み込まれている。最も低いのは出羽ヶ嶽の203pである。これが基準なのだろうか。この身長なら曙(203p)や琴欧洲(202p)も刻まれておかしくないが、果たして?
最後に刻まれたのは力士は戦中、戦後に活躍した不動岩(214p)である。今後、曙らが刻まれる事もあるかも知れない。

そしてもうひとつ面白いのは「巨人力士手形足形の碑」。巨人力士達のスケールの大きさが実感出来る。写真は狂会のメンバーと大空武左エ門(227p)の手(手形)。こんなのに張られれたらと思うとゾッとさえする。

この他にも「強豪関脇力士碑」がある。これは大関まであと一歩だったが、届かなかった関脇力士達が刻まれている。古くは看板大関が優先されていた為、事実上最高位だった強豪関脇も含まれている。最後に刻まれたのは1950年代に活躍した北の洋である。残念ながらこの石碑にはもう空きのスペースが無い。長谷川や琴錦の名が刻まれることはあるのだろうか。

さあ、これで満足だと帰ってはいけない。

肝心の「横綱力士碑」は本堂の右手にある緩やかな坂を下りたところにある。感想はひとつ、でかい。人間と比べて頂ければ大きさが分かろう。


真ん中にあるのが「横綱力士碑」。裏面に初代横綱・明石から45代・若乃花までが刻まれている。その後の横綱は一旦は向かって右側の側面部分に刻もうとしたようで51代・玉の海までの名前を見る事が出来るが、さすがに無理があったと見て、向かって右側にある石碑に46代・朝潮から横綱達の名が刻まれている。現在は表面にスペースが無くなってなってしまい、裏面に入っている。
こちらは2012年現在で最新の横綱までが刻まれていてまだまだスペースもある。69代・白鵬が横綱昇進したのは2007年。現行の厳しい昇進基準の下で次に刻まれる力士が現れるのはいつのことになりだろうか。






                              
なお横綱ではないが、「無類力士」として横綱力士碑には大関・雷電為右衛門の名前を見ることが出来る。碑を建てた中心人物である陣幕にも「なぜ、雷電が横綱になれなかったのだろうか?」という思いが胸にあったのかも知れない。


この他にも天竜三郎氏筆の「出羽海一門友愛之碑」、「不知火碑」、「雲竜碑」、「超五十連勝力士碑」が同じところにある。

中でも一目置くべきなのは「超五十連勝力士碑」である。


50連勝以上を記録した力士達が刻まれている。最後に刻まれたのは53連勝を記録した千代の富士だ。

2010年に白鵬が63連勝を記録した。既に刻まれる事は確実になっている。何連勝したのかも一緒に刻まれるので、この先64連勝以上すればそちらが優先して刻まれると思われる。あるいは両方刻まれるのかも知れない。過去に2回以上50連勝をした力士は存在しないので謎である。

白鵬を入れてもまだスペースに空きはある。この先、刻まれるような強豪力士が出てくればさらに人数は増えることだろう。

【アクセス】
東京メトロ東西線、都営地下鉄大江戸線門前仲町駅から徒歩5分ほど。駅の案内板にも行き方が書いてあるので、迷うことはないだろう。

【参考地図】


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