朝青龍仮病疑惑
-怪我で巡業を休んだ朝青龍がサッカーを楽しむ-

2007年7月場所で21回目の優勝を果たした横綱・朝青龍。

場所後の7月25日、朝青龍は「急性腰椎症、第5腰椎疲労骨折および左ヒジ内側側副靱帯損傷、左尺骨神経痛で6週間程度の休養が必要」なる診断書と一緒に夏巡業の休場届を提出した。

ところが、同じ日の夕方のニュースで朝青龍がモンゴルで元サッカー日本代表の中田英寿氏らとサッカーを楽しんでいる姿が映し出された。腰を疲労骨折しているはずだが、豪快なジャンピングボレーシュートを決めていた。当然、「疲労骨折は嘘ではないか、巡業をさぼりたかっただけではないか」という疑問が生じてくる。

しかも悪い事にこれは無断帰国。通常は母国と言えども日本を離れる際には届け出を出さなければいけない。朝青龍に関してはなぜか今までも無届けでの帰国が黙認されていた部分はあったが…。

26日に師匠である元大関・朝潮(5代)の高砂は帰国するように朝青龍に連絡をとり、30日に朝青龍は帰国した。翌日に理事長のところへ謝りに行く予定だったが、急遽その日のうちに理事長を訪れ謝罪した。

どうやらこのサッカーイヴェントはチャリティーでモンゴル政府から参加を要請されてのことだということらしい。北の湖理事長1場所出場停止で決着をつけようとしたが、巡業部長の元大関・旭國の大島が強く反発。大島の弟子の旭天鵬が車での追突事故を起こして1場所出場停止を喰らっており、同等だと納得できないという言い分だ。

8月1日の理事会で結局、2場所出場停止で落ち着いた。この他にも11月場所終了まで自宅、稽古場、病院以外の外出を認めない、減俸30%4ヶ月といった処分も同時に下った。

これまでも何かとトラブルが多かった横綱だったが、本領発揮はここからだった。

会見を開かない朝青龍に対して、暑さに負けず報道陣は姿を撮ろうと自宅付近を取り囲んだ。

5日になって医師の本田昌毅氏が「朝青龍はうつ病の一歩手前。最良の環境で治療させるのが一番」とモンゴル帰国を勧める。この診断は確かだったようで、協会の相撲診療所所長が推薦した医師も同じように横綱はストレスでやられているという診断を下した。所長の吉田博之氏も「帰国も選択肢の一つ」と語った。

さらに静観していた師匠・高砂が9日、10日に連続して朝青龍の自宅を訪れ話し合いを持つ。会見をさせようという目的だったが、これは失敗に終わった。

この後、高木洲一氏が治療を担当することになった。「解離性障害」という診断を下した。これに吉田所長も「本人の望む環境に置くのが一番」と帰国を勧める。診療所所長の見解であり、こうなると協会側も帰国を認めないわけにはいかない。

高砂も奮戦し、夏休みを2日だけに短縮し、問題に対処。

28日に開かれた臨時理事会で主治医の高木氏から説明を受けた上で帰国を了承した。ただし、治療目的以外で公の場に出る事は禁じられた。

翌29日、朝青龍は帰国した。首都・ウランバートルから400`離れた温泉保養地・ハラホルンにある親族が経営する「ドリームランド」に到着する。別の車で高砂と本田医師も「ドリームランド」入り。高砂は現地の治療施設を確認した後に帰国したが、31日の日本での会見が物議をかもした。


まず、会見に臨んだ高砂の着ていた肩章が印象的なパイロットシャツが話題になり、販売元に問い合わせが殺到、品切れを起こした。

会見でもモンゴルの治療環境は問題なしとアピールする意図で「モンゴルでダブルの虹を見た。虹のダブルアーチ!」、「モンゴルの温泉は肌がツルツルになる」と発言したところ、これがお気楽発言と受け取られてしまった(その場で爆笑した記者も記者、彼らが高砂を叩く寸法だ)。

さらに悪い事に高砂は理事で広報部長の身。時太山暴行死事件でも対応に追われることになり、二正面作戦を強いられた。

11月30日、ついに朝青龍が治療を終えて日本に戻ってきた。そのまま協会で謝罪をし、謝罪会見を済ませた。この日は別のボクシング世界チャンピオン一家も故意か偶然か別件で謝罪会見を行ったが、それが霞むほどに大注目を浴びたのがこの歴史的謝罪会見である。

久々の日本でも日本語は非常に流暢で会見でも随所に謝罪の言葉を散りばめた。キレたら即刻引退という話も聞こえてくる中、ところどころ質問への聞き返しで多少声を荒げたが、なんとか乗り切り、冬巡業から復帰をした。

これが逆にいい休養になったのか2008年1月場所に横綱・白鵬と千秋楽相星決戦を演じると3月場所では堂々の復活優勝を果たした。やはり角界の主役は引退するまでこの男なのである。



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