トンガ力士廃業騒動
-トンガ力士6名が朝日山部屋の新師匠に従わず廃業-

南太平洋に浮かぶトンガから新弟子が入門してきたのは1974年10月。

きっかけは朝日山部屋後援者の娘がニュージーランドに留学し、トンガ国王の娘と知り合いになったことから始まる。交流を通して国王にも相撲の話が伝わり「我が国の国技にしたい」と要請を受け、朝日山部屋のメンバーがトンガを訪問した。メンバーは元関脇・二瀬川の朝日山親方、高鐵山、若二瀬の3名である。「親善大相撲指導団」ということで協会から派遣された。

以上が公式の訪問経緯であるが、そもそもこの指導団の目的は朝日山部屋の後援者がトンガの油田採掘の権利を狙っていてその為に駆り出されたに過ぎないと高鐵山は後に告白している。

経緯はともかく、現地で若者相手に相撲指導を行った。その中で素質のある若者を国王の依頼、もしくは朝日山親方が連れ帰りたいと言いだしたの両方の説があるが、連れ帰った。

連れ帰ったのは4名。秘密警察の椰子ノ島、近衛兵の南ノ島、高校生の日ノ出島、高校生の福ノ島である。

そのまま日本に連れ帰るつもりだった「親善大相撲指導団」だったが、国王の許可があれば日本に入国し力士として活動できると勘違いしていた為、ハワイで高鐵山が監督する形で4名の新弟子は足止めを喰らう。当初からドタバタしていた。

なんとか日本に入国したが高鐵山も最初から「こりゃとても日本では無理だな」と不安視していた。言葉も通じず、寒さもダメでちゃんこも食べず蒸した鳥ばかり食べる。日曜日は稽古を休む(トンガ力士はクリスチャン)と特別待遇をせざるを得なかった。

さらに追加で高校生の幸ノ島、高校生の友ノ島も入門し総勢6名となったトンガ人力士。

持ち前の運動神経を活かし、出世は比較的早かった。しかし、朝日山親方が1975年10月14日に亡くなる。

部屋は元小結・若二瀬の北陣が朝日山を襲名し、部屋を継いだ。ここで先代の妻と新朝日山がゴタゴタを起こしてしまった。

トンガ力士6名は先代夫妻に恩義を感じており新しい朝日山には従えないと主張し、そのまま1976年10月13日に廃業となってしまった。

まだ、外国人など珍しい時代。6名は入門の時から注目され、廃業の際も騒ぎとなった。国会でも取り上げられ理事長が事情聴取まで受けた。福ノ島と椰子ノ島は2年で幕下まで昇進していただけに惜しまれる。

国際問題に発展するのではないかと危惧もされたが、協会が元幕内・柏戸の伊勢ノ海らをトンガに派遣し、事情を説明したところ国王も納得したと言われている。


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