九重独立騒動
-九重が出羽海部屋から独立するも一門から破門-

常陸山を開祖とし角界随一の超名門である出羽海部屋。かつてこの出羽海部屋は「分家独立は許さず」という不文律の下で一致団結を保ってきた。

その不文律にチャレンジしたのが元横綱・千代の山の九重である。

1月場所千秋楽翌日、意を決した九重は大関・北の富士を含む13名の力士を引き連れ独立を申し入れた。鉄の結束を誇っていた出羽海部屋の親方たちは激怒した。特に大関・北の富士は九重が入門させた事に違いはないが、独立させろ大関よこせとは何事かということで猛反発を浴びた。

九重が独立を決意した動機は自らが継承するはずだった出羽海部屋の継承が絶望的になったからだと言われている。当初は周囲も6回の幕内最高優勝を数えた実績充分の九重と考えていた。ところが、元幕内・出羽ノ花の武蔵川の巧みな策略により、九重に出羽海継承の芽は断たれたのである。


1967年1月31日、独立を申し入れた九重に武蔵川から出羽海へと名跡を代えた総帥から以下の裁定が下った。

「部屋の独立は承認する。ただし、3人は親が反対している。あとは連れて行って良い。その代わり、今後は一門ではない」

予想外の結果に出羽海部屋大広間はどよめきに包まれた。

九重部屋に移籍したのは大関・北の富士、幕内・禊鳳、十両・松前山、幕下・若狭山、千代の海、三段目・見崎山、松前洋、序二段・千代櫻、千代の岩、千代の花の10名。

10名は九重部屋力士として1967年3月場所の土俵に上がり、北の富士は優勝、松前山も十両優勝で九重部屋は幸先良いスタートを切った。

一門を破門された九重部屋は高砂一門に拾われ今に至っている。


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