千代の山横綱返上問題
-不振の横綱・千代の山が横綱返上を申し入れ-

千代の山は歴史上初めて吉田司家にお伺いを立てず協会が独自に免許を授けた横綱である。

1951年5月場所で14勝1敗の成績で優勝し、横綱に昇進したがその後はスランプに陥り優勝から遠ざかっていた。それでも52年中は全場所で2桁勝利を挙げて横綱としての最低限の責任を果たしていたが、53年は大崩れ。

1月場所は3日目から扁桃腺炎で休場し、11日目から再出場して4勝4敗7休と不本意な成績に終わる。3月場所でも初日こそ平幕の時津山に勝ったものの、2日目から松登、二瀬山、清水川、若ノ花に4連敗を喫し休場に追い込まれる。

真面目な千代の山は横綱としての責任を果たせていないことに悩んだ。彼が思わず部屋付き親方である元横綱・安藝ノ海の藤島に「横綱の名誉を傷つけたので横綱を返上し、大関からやり直したい」と漏らした一言が「横綱返上宣言」と受け取られ世間を騒がせた。

結論から言うと師匠である元横綱・常ノ花の出羽海が説得して撤回し、収拾に向かった。協会側としては申し出を認めれば300年の伝統を誇る横綱の権威を失墜させることになり、当然受理は出来ない。とは言っても横綱降格騒動からわずか3年の出来事であり、横綱の地位が揺れた時代でもあった。

この後、千代の山は1955年2連覇を達成し、57年1月場所では全勝優勝を飾っている。常人には想像も及ばないようなプレッシャーがかかる横綱の重みが垣間見られた出来事である。双葉山でさえ次のように語っている。

「私の現役時代を考えても、不調の場合、大関に下げてもらえるというなら、もう少し気楽に取れていたと思う」




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