東京大空襲
-幕内力士を含む多くの関係者を失う、国技館も炎上-

1945年3月10日、東京・下町の住宅街や町工場をターゲットとした大規模な空襲が行われた。日付が変わってほんの数分後、深川地区の爆撃を皮切りに2時間半に渡り焼夷弾の雨が降り注いだ。

一夜にして10万人以上が亡くなり、40`平方メートルが焼け野原となった。

軍部に接収されていた東京・両国にあった国技館は焼失。相撲の殿堂は辛うじて原型をとどめたが使用不能に陥った。


でも、国技館はまた建て直せばいい。失った人命は取り戻す事が出来ない。

現役力士、協会員、ファンなど相撲に関わる本当に多くの命が奪われた。

幕内・松浦潟、同じく幕内・豊嶌も空襲で落命した。

豊嶌は関脇まで昇進した経験のある力士で、取り口は突き押し一辺倒だったが、ちょうどそれが時代に好まれ、人気も高く、双葉山から2つの金星を獲得した事もある。幕内通算成績は61勝49敗、勝率は.555と大関候補であった。遺体は隅田川にかかる東武線鉄橋下で発見されている。享年は24歳。

松浦潟も三役経験者でこちらも人気者であったが、どちらかと言うと女性ファンが多かった。松浦潟の方は遺体は発見されていないが、3月10日を境に行方不明になっていて空襲当日に亡くなったと見なされている。享年は29歳。

現在の相撲界も様々な問題を抱えているが、平和裏に大相撲が行われている。それはいつも続いていたわけではなく、過去には尊い命の犠牲があったことを忘れてはならない。


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