沖ッ海フグ中毒死事件
-窮地の協会を襲った名力士の悲劇- 

1932年に発生した春秋園事件で多くの関取を失った相撲協会は32年12月に半数近くが復帰したものの、かつての活気は戻っていなかった。

そんな中で関脇として活躍し大関目前と言われた期待の若手が沖ッ海。33年1月場所では横綱・玉錦と対戦し立合いガンと当たり合って差し手争いから沖ッ海が叩いて崩し左を差し勝った。しかし玉錦は立ち合いに鼻ッ柱を強打してひどい出血し痛み分け。このため勝者がおらず弓取りが中止になった。

上位相手でも臆することなく当たっていき人気もあった。中でも左からの下手投げは角界随一の威力であった。

悲劇が若き才能を襲ったのは1933年9月30日。巡業先の山口県萩はフグの名産地として知られている。ここで沖ッ海はフグを自ら調理して越ノ海と食べた。この時の毒があたってしまい、中毒に苦しんで亡くなった。23歳だった。

既に師匠の娘と結婚し、部屋の後継者に決まっていただけに関係者も多いに悲しんだ。

協会としても23歳にして大関目前の存在であった沖ッ海を失ったダメージは大きく、双葉山の台頭まで興行面で苦しむことになる。



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